第二百五十六話 二重の錯覚から目を覚ませ!

「生・死の概念」つまり、“生が好くて、死が悪い”と思い込んでいるわたしたち人間は、必然に“生を求め、死を避ける”という土台不可能な生き方をします。
そもそも、死が実在で、生は死の不在概念に過ぎないのに、無いものを求め、在るものを避けているのですから土台不可能です。
更に、実在する死は「安全な世界」であり、概念に過ぎない生が「危険な世界」なのに、「危険な世界」の生の中で安全を求めるという、これまた土台不可能な生き方をしているのです。
つまり、
“危険を求め、安全を避ける”生き方をしているのに、“安全を求め、危険を避ける”という自己矛盾も甚だしい生き方をしている結果、
“富を求め、貧乏を避ける”
“健康を求め、病気を避ける”
“幸福を求め、不幸を避ける”
“天国を求め、地獄を避ける”
“神を求め、悪魔を避ける”
“光を求め、暗闇を避ける”
支離滅裂で自己矛盾も甚だしい。

“生が好くて、死が悪い”という「生・死の概念」
“オスが好くて、メスが悪い”という「オス・メスの概念」
“善が好くて、悪が悪い”という「善・悪の概念」
“強が好くて、弱が悪い”という「強・弱の概念」
“賢が好くて、愚が悪い”という「賢・愚の概念」
“富が好くて、貧が悪い”という「貧・富の概念」
“幸福が好くて、不幸が悪い”という「幸・不幸の概念」
“天国が好くて、地獄が悪い”という「天国・地獄の概念」
“健康が好くて、病気が悪い”という「健康・病気の概念」
“支配が好くて、被支配が悪い”という「支配・被支配の概念」
という考え方を当然(必然)と思い込み、土台不可能な支離滅裂で自己矛盾に満ちた二重の錯覚であることに、わたしたち人間は気づいていないのです。
二十一世紀という節目の時代、つまり、「軸の時代」の中心世紀に生きるわたしたち人間が理解しなければならない最も大事な要件です。