第二百五十五話 「危険な世界」&「安全な世界」

“必死”=“risk my life”
“自分の人生を危険な状態に置く”、つまり、“命を張る”ということが、“必死”になる
という言葉の真の意味です。
生きるということは危険なことなのです。
安全を求めるなら死ぬしかありません。
危険とは諸行無常(運動)状態に外なりません。
安全とは諸行有常(静止)状態に外なりません。
「運動の世界」=「生の世界」
「静止の世界」=「誕生の世界」
「静止・運動の世界」=「死の世界」
である所以です。
「誕生の世界」は「生の世界」を経験しない「静止の世界」=「始点の世界」
「死の世界」は「生の世界」を経験した「静止・運動の世界」=「終点の世界」
従って、
「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「危険な世界」なのです。

「客観の世界」=「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」=「安全な世界」なのです。

ところが、「主観の世界」=「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」=「危険な世界」に生きているわたしたち人間は、
“生を求め、死を避ける”
つまり、
“危険を求め、安全を避ける”生き方をしているのに、
“富を求め、貧乏を避ける”
“健康を求め、病気を避ける”
“幸福を求め、不幸を避ける”
“天国を求め、地獄を避ける”
“神を求め、悪魔を避ける”
“光を求め、暗闇を避ける”生き方をしているのです。
これは自己矛盾も甚だしい。
到底不可能なことを追い求めているのです。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争を繰り返す原因はこの自己矛盾にあるのです。