第二百五十四話 必然と偶然の妙

“必死”になるという言葉を英語にしますと、“risk my life”と言います。
“自分の人生を危険な状態に置く”、つまり、“命を張る”ということが、“必死”になる
という言葉の真の意味です。
日常生活の中でわたしたち人間は果たして命を張った生き方をしているでしょうか。
つまり、
必死に生きているでしょうか。
自然社会で生きている他の生きものは、まさに、『今、ここ』を命を張って生きている、つまり、必死に生きています。
一瞬、一瞬を必死に生きています。
「百獣の王ライオンはどんな弱い相手でも全力を尽くして戦う」
一瞬、一瞬を必死に生きている証明です。
自然社会で生きている他の生きものは、わたしたち人間が見ていて苦しくなるぐらい、緊張の連続の中で生きています。
一瞬の隙が自分の命を奪いかねないからです。
だから、彼らは危険予知アンテナが鋭いのです。
だから、彼らは地震や台風といった自然現象に鋭く反応するのです。
一方、わたしたち人間は地震が襲って来るまでわからない程、危険予知アンテナが鈍いから、自然災害になるのです。
一方、わたしたち人間は台風が襲って来ても、為されるままで、どうすることも出来ず、挙句の果てに、自然災害になっているのです。
自然社会で生きている他の生きものにとっては、ただの自然現象に過ぎない地震や台風が、わたしたち人間にとっては自然災害となり、それを、「天災」などと阿呆なことを言っておる始末です。
自分たちの危険予知アンテナが鈍いだけの話なのです。
つまり、
わたしたち人間だけが必死に生きていないのです。
嘗て、地上で最も弱き生きものであった人類は必死に生きていました。
その結果、二本足で立つことが危険から事前に身を守る手段であることを知り、二本足で立つことが偶然、脳の発達を促した。
わたしたち人間の祖先である人類が知性を得た瞬間です。
二本足で立つことは自分たちが必死になった必然の為せる業です。
しかし、
脳の発達による知性の獲得は偶然の為せる業です
わたしたちの祖先である人類が、二本足になること(頭の位置が高くなること)によって地球の重力が軽減され、脳が発達するなど知っているわけがない。
つまり、
わたしたち人間が知性という地上最強の武器を得て、地上最強の生きものになったのは偶然の為せる業だったのです。
ただ、最も弱き生きものであった故に、必死になって生きている中で、遠くを見渡せる二本足になったお陰です。
ところが、現代社会に生きるわたしたち人間は、できるだけ安全に生きようとして、必死に生きることを忘れてしまっている。
何故わたしたち人間が他の生きものの上に君臨しているのか。
必死に生きた結果、偶然、知性という贈り物を与えられたからです。
必然という結果は与えられるものではなく自分の努力で得るものです。
そうすると、自然から(おのずから)偶然という贈り物が与えられる。
世の宗教者や霊媒者と称する者たちが言う、“世の中のことはすべて必然”などあるわけがない。
自然からの贈り物はすべて偶然の所産なのです。
必死に自分の身を守ろうとして二本足になった結果、知性という贈り物を偶然与えられた。
わたしたちが出来ることは、ただ必死に生きることだけ、つまり、命を張って生きることだけです。
必死に生きていない者にとって、必然と偶然の妙は起こり得ません。