第二百五十二話 “自分は人生の殆どを建前で生きていた”

わたくしが主宰している平成セミナーという勉強会のメンバーに、自分の日常の生きざまの中で本音と建前の割合を一ヶ月間、毎日毎時間データを取って発表するように宿題を出したお話をしました。
以前にも、勉強会のメンバーにある宿題を出しました。
一ヶ月間、毎日毎時間、“ひょっとしたら、自分が間違っているのでは?”と思ってみることで、自分の心境の変化を検証してみること。
自己を客観的に観る作業なわけです。
わたしたち人間は、自分を中心にした世界観を持って生きているため、他人を客観的に観ることができるが、自己を客観的に観る癖を持っていません。
つまり、
他人には客観視する。
自分には主観視する。
言い換えれば、
客観視の世界が「理解の世界」であり、主観視の世界が「概念の世界」に外なりません。
つまり、
主観の世界が、「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」なのです。

客観の世界が、「理解の世界」=「現実の世界」=「絶対・相対の世界」=「静止・運動の世界」=「三元論の世界」=「終点の世界」=「死の世界」=「宗教を超えた世界」=「科学を超えた世界」=「神を超えた世界」=「政治を超えた世界」=「経済を超えた世界」=「歴史を超えた世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた世界」=「差別・不条理・戦争を超えた世界」なのです。

“他人のことはよく観えるが、自分のことは全然観えない”とよく言います。
ところが、自分と他人が同じ世界にいると思っている。
錯覚も甚だしいわけです。
客観視がよく観えるのです。
主観視が全然観えないのです。
客観の世界が「理解の世界」である所以です。
主観の世界が「概念の世界」である所以です。
ところが、よくよく考えてみれば、自分が客観視している他人も、自己を主観視して、他人から観た自分を客観視しているわけです。
だから、
“ひょっとしたら、自分が間違っているのでは?”と思うと、自己を他人の立場に置いて、恰も、自分を他人のように観る自己客観視ができるわけです。
結果、“自分のことがよく観える”、つまり、“真実(本音)”を観ることができるようになるわけです。
そうしますと、自己主観視しているわたしたち人間は、99.9999・・・%建前で生きていることに気づかされます。
本音と建前の割合をチェックする宿題の狙いはここにあったのです。
答えは一つ。
“自分は人生の殆どを建前で生きていた!”