第二百四十八話 「この世的成功」の正体

「自己の死期(四季)」を知るためには、「継続」的生活、つまり、規則正しい生活をしなければなりません。
逆に言えば、
“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な考え方を持って、一生死の恐怖に苛まれて生きている人間には、「自己の死期(四季)」を知ることはない。
だから、
死は突然襲ってくるのです。
突然襲ってくるものはダメージが大きいが、予期しているとダメージは軽くて済む。
突然襲ってくる死を更に怯えるという悪循環の繰り返しをするわけです。
悪循環とは円回帰運動の不在概念に外なりません。
つまり、
円回帰運動をしていないから悪循環に陥るのです。
だから、
「悪循環(vicious circle)」という言葉はあっても、「善循環」という言葉はないのです。
「善循環」とは円回帰運動に外ならないのです。
どぶねずみ化した人間は、人生の悪循環に陥った人間のことに外なりません。
逆に言えば、
円回帰運動という宇宙の法則(自然の法則)から逸脱した者が陥るのが、悪循環であります。
自然の世界に生きている他の生きものを「畜生」などと蔑んでいる人間こそ、人生の悪循環に陥っているどぶねずみ人間なのです。
差別する人間こそ、人生の悪循環に陥っているどぶねずみ人間なのです。
不条理をする人間こそ、人生の悪循環に陥っているどぶねずみ人間なのです。
戦争をする人間こそ、人生の悪循環に陥っているどぶねずみ人間なのです。
突き詰めれば、
この世的成功をしている人間こそ、人生の悪循環に陥っているどぶねずみ人間なのです。
ホームレスのような老子を、この世的成功を収めた孔子が怖れた理由はこの点にあります。
ホームレスのようなディオゲネスを、この世的成功を収めたアリストテレスが怖れた理由はこの点にあります。
いくら、この世的成功を収めても所詮は悪循環に陥っている者はニセモノのどぶねずみであり、いくら、ホームレスでも善循環の生き方をしている者はホンモノの人間なのです。
その違いは、「自己の死期(四季)」を知っているか、知っていないかです。
この世的成功の極みを得た、秦の始皇帝が不老長寿の薬をなぜ追い求めたのか。
死を怖れたからであり、「自己の死期(四季)」を知らなかったからであり、この世的成功など糞の役にも立たなかった証明です。
そんな人間に限って、差別・不条理・戦争を起こす張本人なのです。
政治家、科学者、宗教者は、まさしく、そういった連中に外ならない。
「生・死の概念」から「生・死の理解」に進化することが、わたしたち人間の最も大事な課題なのです。