第二百四十七話 「自己の死期」の知り方

「生・死の概念」しか持っていない、わたしたち人間は、“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な考え方を信じ込む結果、“生が好くて、死が悪い”という「好いとこ取りの相対一元論」の考え方に止まっています。
「生・死の理解」にまで進化した「新しい人間(超人類)」は、“自分は必ずいついつに死ぬ”というしっかりした(完全な)考え方を持つに至りますから、当然のことながら、「自己の死期」は自分で決めます。
「自己の死期」を自分で決めるには、死ぬための明確な基準を持つことです。
どんな状態の生であれば死ぬかということです。
拙著「夢の中の眠り」で「病(やまい)の甲乙丙」理論というのを書きました。
わたしたち人間は、“健康が好くて、病気が悪い”という「好いとこ取りの相対一元論」の考え方を持っていますが、病気が実在で、健康は病気の不在概念に過ぎません。
平たく言えば、
生きているということは、死を背負って生きていることと同じように、生きているということは、病気を背負って生きていることに外ならないのです。
生きている限り、常に「病(やまい)」の状態であって、その程度が甲→乙→丙→甲→乙→丙と変化する、つまり、円回帰運動するだけなのです。
死ねば晴れて病気から解放される。
つまり、
甲→乙→丙→甲→乙→丙の円回帰運動が静止する。
わたしたち人間は、「病(やまい)」の丙状態を「病気」と称し、「病(やまい)」の甲状態を「健康」と称し、「病(やまい)」の乙状態を「健康」も「病気」も意識しない普段の状態としているだけで、生きている限り、つまり、一生、「病(やまい)の甲乙丙」循環を繰り返しているのです。
「病(やまい)の甲乙丙」循環が止まった時とは、円回帰運動が止まった時です。
すべての円回帰運動が止まった時とは、死ぬということです。
つまり、
すべての円回帰運動が止まるということは、一つでも円回帰運動が止まった時に外なりません。
その時が、「自己の死期」です。
「病(やまい)の甲乙丙」循環が止まった時が「自己の死期」です。
それ以外にも、わたしたち生きものは無数の甲乙丙循環をしているものを持っています。
その基準になるのが、一日(朝・昼・夜の循環)と一年(春夏秋冬の循環)です。
「生・死の観念」を持っている他の生きものたちは、明確に「自己の死期」を知っています。
地中で生きている蝉のサナギが、7年目の夏になると地上に出てきて7日目に、他の生きものに食われるために死んでいきます。
地上に出てきた蝉が樹木の陰に隠れて鳴き続けているのに、7日目になると樹木から離れて、他の生きものの目につくところにその姿を現わします。
まるで、“わたしを食べてください!”と言っているようです。
そうすると、蟻たちが“食べさせて頂きます!”と寄ってきます。
“食う・食われる”という「生・死の観念」を持っている彼らには、「自己の死期(四季)」が分かっているのです。
一日(朝・昼・夜の循環)と一年(春夏秋冬の循環)が止まった時が、「自己の死期(四季)」がやってきた時です。
従って、
「自己の死期(四季)」が分かるには、規則正しい生活をすることです。
つまり、
「継続」的生活をすることが基本です。