第二百四十六話 「生・死の観念」→「生・死の概念」→「生・死の理解」

突き詰めてみれば、
部分観の極大化現象であるどぶねずみ化が、地球上の全生命体絶滅の危機、つまり、地球自身の絶滅の危機をもたらしているのです。
そして、部分観の極大化現象であるどぶねずみ化の最たる典型が、差別・不条理・戦争なのです。
何故なら、どぶねずみとは、数は極大化していくのに、いっぴき一匹は自分のことしか考えないからです。
いわゆる、“ねずみ講”化なわけで、“ねずみ講”の“ねずみ講”たる所以は、“自分さえ好かったらいい”、つまり、「好いとこ取りの相対一元論」なのです。
“金持ちが好くて、貧乏が悪い”
“健康が好くて、病気が悪い”
という例の「概念の世界」=「二元論の世界」というやつで、その源泉にあるのが「生・死(誕生)の概念」であり、先端にあるのが「差別・不条理・戦争の概念」なのです。
つまり、
「生・死(誕生)の概念」が「差別・不条理・戦争の概念」を生んでいる。
「死の概念」とは、“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な考え方であることは何度もお話してきました。
「生・死(誕生)の概念」とは、“自分も必ずいつか死ぬ”という、実在する死を忌み嫌い、死の不在概念に過ぎない生を追い求める考え方です。
いわゆる、“生が好くて、死が悪い”という、わたしたち人間が今まで当たり前のように思い込んできた中途半端な考え方です。
中途半端な考え方とは、「二元論」の本質は二元要因は補完関係にある、つまり、コインの裏表関係にあるのに、二律背反関係にあると錯覚している「好いとこ取りの相対一元論」に外なりません。
中途半端な考え方とは、生きているということは、死を背負って生きていることに外ならないことを理解できない考え方です。
その証拠に、死は突然襲ってきます。
だから、“自分も必ずいつか死ぬ”という中途半端な考え方に陥るのです。
“必ずいつか”なんて自己矛盾も甚だしい。
“必ず”なら“いついつ”の筈です。
だから、
“生が好くて、死が悪い”
といった支離滅裂、自己矛盾も甚だしい考え方を当たり前のように思い込むのです。
先ずは、
「生・死(誕生)の観念」→「生・死(誕生)の概念」→「生・死(誕生)の理解」に至らなければなりません。
言い換えれば、
“食う・食われる”→“自分も必ずいつか死ぬ”→“自分は必ずいついつに死ぬ”に至らなければなりません。
つまり、
自分の死期は自分で決めることです。