第二百四十三話 文明社会の意図

科学者に唯物主義者が圧倒的に多いのは、科学自身が客観性の追求をするからだと言われています。
古代・中世の主観性の追求から脱却するために、客観性の追求が始まり、近代が幕開けした。
ルネッサンス・宗教改革・産業革命は、まさしく、客観性の追求がテーマであり、その中で科学が発展したわけです。
科学とはアンチ宗教であった。
科学者に唯物主義者が圧倒的に多い理由です。
ところが科学者の頂点にいる相対性理論のアインシュタインはユダヤ教徒であり、現に、ハイゼンベルグの「不確定性原理」に反論して、“神は賽を投げない(神はサイコロを振らない)”と反論した。
アインシュタインとハイゼンベルグの対決は科学論争ではないことを意味しています。
唯物主義と唯神主義の対決に過ぎません。
平たく言えば、
“天地創造主、人知を超えた絶対的な存在である神はいるか?いないか?”の論争に過ぎません。
つまり、
所詮は「二元論の世界」の話なのです。
つまり、
所詮は、「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「政治の世界」=「経済の世界」=「歴史の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」の話なのです。
「宗教と科学」は所詮同じ穴の狢であることを理解していない二流・三流の科学者が唯物主義者に陥る所以はここにあります。
いわゆる一流(?)の科学者は、「宗教と科学」が、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の文明社会の一点を担っていることを熟知しているのです。
つまり、
科学に自然科学、人文科学などのカテゴリーなどないのです。
科学とは人文科学しかないのです。
天文学・物理学・化学・地学(地球学)・生物学も、政治学・経済学・社会学・歴史学と同じ人文科学であることを決して見逃してはなりません。
つまり、
人間の意図が働いているのです。
つまり、
天文学・物理学・化学・地学(地球学)・生物学といった、いわゆる自然科学も所詮は人間の意図が働いているのです。
その意図とは、「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングル構造の差別・不条理・戦争を繰り返す文明社会の意図に外ならないのです。