第二百四十二話 アインシュタイン派 対 ハイゼンベルグ派

相対性理論とは、平たく言えば、“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・”の「諸行無常論」に外ならない。
世の中のことはすべて無常、つまり、運動変化していて、何一つ静止しているものはない。
一方、不確定性原理とは、平たく言えば、動いているものの位置を決めることはできないし、止まっているものの速度を決めることはできない。
つまり、静止している世界と、運動している世界を一緒くたにはできない。
わかり易く言えば、
世の中の出来事はすべて不確定な偶然で、確定できる必然など一つもない、という偶然説です。
ハイゼンベルグという人が、アインシュタインの「相対性理論」に対して、「不確定性原理」というものを提唱した。
それに対して、アインシュタインは反論しました。
“神は賽を投げない(神はサイコロを振らない)”
平たく言えば、“神はバクチをしない”、つまり、必然説です。
この二人の論点を平たく言えば、
ハイゼンベルグは、神など存在しないと主張した。
アインシュタインは、神は存在すると主張した。
二人の論点を突き詰めてみると、
「静止の世界」と「運動の世界」の関係の見解の相違なのです。
ハイゼンベルグは、「静止の世界」と「運動の世界」を同じ世界の現象の違いと捉えた。
アインシュタインは、「静止の世界」と「運動の世界」をまったく違う世界と捉え、「静止の世界」は人知を超えた世界で、神の領域だと主張した。
「静止の世界」を「あの世」として、「運動の世界」を「この世」とすれば、二人の論点がよりわかる。
ハイゼンベルグは、「この世」と「あの世」の関係は、新田哲学風に言えば、「あの世」が実在で、「この世」はその映像に過ぎない、と言っているのです。
アインシュタインは、「この世」と「あの世」はまったく別の世界で、「あの世」は神の世界だ、と言っているのです。
アインシュタインが有神論、つまり、必然説。
ハイゼンベルグが無神論、つまり、偶然説。
いずれに軍配が上がるか、その結論は今世紀中には出るでしょうが、はっきり言えることは、ハイゼンベルグは「宗教と科学」を明確に分離している、つまり、「政教分離派」であるのに対して、アインシュタインは「宗教=科学」、つまり、「祭政一致派」であることです。
新田哲学はどちらとも言いませんが、ただはっきり言えるのは、
「オス社会」を頂点にして、「宗教と科学」と「支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会」で底辺を構成するトライアングルが、人類に文明社会をもたらした結果、差別・不条理・戦争の社会が生まれた、ということです。
あなたはアインシュタイン派ですか?
あなたはハイゼンベルグ派ですか?