第二百三十八話 宗教・科学の妄想

わたしたち人間は、「概念の世界」=「映像の世界」=「相対の世界」=「運動の世界」=「二元論の世界」=「円周の世界」=「生の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」=「悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の世界」=「差別・不条理・戦争の世界」に生きています。
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖のない人生、差別・不条理・戦争のない人生を送りたいために、宗教、科学、そして、「神の概念」をつくった筈なのに、ミイラ取りがミイラになってしまった。
自然(地球)と一体感で生きている他の生きものたちが持つ「神の観念」では、ミイラ取りがミイラになることは決してないことは、彼らの生きている自然(地球)社会の秩序が保たれていることが証明しています。
言い換えれば、
自然(地球)社会には差別・不条理・戦争がないことが、秩序が保たれている証明なのです。
逆に言えば、
差別・不条理・戦争が絶えないわたしたち人間社会は、秩序が保たれていない社会に外ならないのです。
だから、
“汝、殺すなかれ”
“汝、姦淫するなかれ”
“汝、盗むなかれ”
“汝、嘘をつくなかれ”
“汝、他人のものを欲するなかれ”
と戒める宗教が生まれたのです。
自然(地球)社会は差別・不条理・戦争と無縁の社会ですから、
“汝、殺すなかれ”
“汝、姦淫するなかれ”
“汝、盗むなかれ”
“汝、嘘をつくなかれ”
“汝、他人のものを欲するなかれ”
と戒める必要などないのです。
“汝、殺すなかれ”と言われたら殺したくなる。
“汝、姦淫するなかれ”と言われたら姦淫したくなる。
“汝、盗むなかれ”と言われたら盗みたくなる。
“汝、嘘をつくなかれ”と言われたら嘘をつきたくなる。
“汝、他人のものを欲するなかれ”と言われたら欲したくなる。
“汝、差別するなかれ”と言われたら差別したくなる。
“汝、不条理するなかれ”と言われたら不条理したくなる。
“汝、戦争するなかれ”と言われたら戦争したくなる。
「二元論の世界」に生きている宿命です。
宗教の限界、つまり、致命傷がここにあります。
「二元論の世界」=「宗教の世界」=「科学の世界」=「神の世界」の証明です。
つまり、
宗教や科学や神が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖から解放してくれるのではないのです。
宗教や科学や神が、差別・不条理・戦争から解放してくれるのではないのです。
宗教や科学や神が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖、差別・不条理・戦争をつくっているのです。