第二百三十五話 好いとこ取りの相対性理論

“動いているものの位置を確定できないし、止まっているものの速度は確定できない”
ドイツの物理学者ハイゼンベルグの不確定性原理であります。
つまり、
静止と運動の関係を言っているわけです。
人生のあらゆる問題点の鍵がここにあります。
宇宙といったマクロ宇宙から、分子・原子・素粒子といったミクロ宇宙、そして、人間の肉体といった小宇宙まで、すべての世界で一貫した原理(法則)が、「静止の世界」が実際にある世界で、「運動の世界」はその映像に過ぎないことを示しているわけです。
つまり、
ハイゼンベルグの不確定性原理は、この世は諸行有常の世界、つまり、「静止の世界」、つまり、「絶対の世界」であり、諸行無常の世界、つまり、「運動の世界」、つまり、「相対の世界」はその映像に過ぎないと言っているわけです。
一方、
アインシュタインの相対性理論は、この世は諸行無常の世界、つまり、「運動の世界」、つまり、「相対の世界」だと言っているわけです。
わたしたち人間(どぶねずみ人間)が、すべての面で錯覚してきた原因が、アインシュタインの相対性理論、つまり、諸行無常論にあったのです。
わたしたち人間が、致命的な錯覚をしていることを証明している話があります。
わたくしが主催しているセミナーであった話です。
わたくしが、人知を超えた魂や霊の存在について、出席の人たちの意見を訊いたら、二人の人が夢枕に死んだ身内の人が現れた経験があり、従って、人知を超えた魂や霊は存在すると信じていると言う。
“他の人たちは、そんな経験がありますか?”
と訊いたら、他の人たちは、そんな経験は無いと言う。
“それでは、人知を超えた魂や霊など存在しないということです”
とわたくしが間髪を入れずに言ったら、みんなポカンと口を開けて、わたくしの言っている意味がわからないのです。
人知を超えたものなら、すべての人の夢枕に分け隔てなく現れる。
詐欺師まがいの宗教者連中はそこで言う。
“夢枕に出ない人は、人知を超えた魂や霊を受信する感度がないからだ!”
阿呆などぶねずみ人間はそこで、“そうなんだ!”と感心する。
人によって出たり出なかったりする人知を超えた魂や霊などあるか!
そんなもん人知を超えたと言えん!
このシンプルな真理が理解できていないのです。
もうひとつ、典型的な錯覚の話。
同じセミナーで、一人の人が、魂や霊の存在を絶対に信じていると断言するのです。
理由は、その人のお兄さんが、若くして亡くなった際に、遠く離れている自分の夢枕に出て、目が覚めたら、事実お兄さんは急死していたことがわかった、という話。
更に、その後、亡くなったお兄さんの形見の腕時計が、自分を危険から救ってくれた事件があったというわけです。
中国に仕事に行って、ホテルに泊まった。
朝の10時に一緒に行った人と車で出かける約束をしたのに、寝坊して約束を破った。
約束を破られた人は、一人で車で出かけた。
ところが、その車が事故に遭い、その人は怪我をした。
彼の寝坊をした理由は、お兄さんの形見の時計が故障して止まっていたからで、それを理由に、人知を超えたお兄さんの魂が自分を事故から守ってくれた。と自信満々に主張するのです。
“それでは、人知を超えたお兄さんの魂は、あなただけを守って、事故に遭った人を守ってやれないのですか?
それでは、人知を超えたお兄さんの魂は、あなただけにとっては神のような存在ですが、怪我をした人にとっては悪魔のようなものですね?”
とわたくしが間髪を入れずに言ったら、再び、みんなポカンと口を開けているのです。
これほどに、わたしたち人間は、自分の都合の好いように錯覚しているのです。
新田哲学では、“好いとこ取りの相対一元論”と言っています。
つまり、
相対性理論は、自分の都合だけを考えた“好いとこ取り”に過ぎないのです。