第二百三十四話 どぶねずみの行き着く先

自分の目の前に展開している、「いわゆる現実の世界」が、唯一存在する世界、つまり、宗教者が言うところの「あの世」に対する「この世」、科学者が言うところの「現実の世界」、哲学者が言うところの「実存の世界」と信じ込んでいる、わたしたちどぶねずみ人間。
一重の錯覚をしている宗教者は、「いわゆる現実の世界」を「この世」という「幻想(映像)の世界」と称し、それに対し、「あの世」という「実在の世界」があると主張する。
同じく一重の錯覚をしている科学者は、宗教者と正反対で、「いわゆる現実の世界」が「実在の世界」で、「あの世」など実在しない「幻想(映像)の世界」と主張する。
要するに、
「実在の世界」と「映像の世界」とを二元論化している点においては、「この世」と「あの世」がひっくり返っているだけの同じ穴の狢なのです。
二重の錯覚をしている哲学者は、更に、「実在の世界」と「現実の世界」を一まとめにして「実存の世界」と主張しているわけです。
言い換えれば、
「観念」と「理解」を同じとしている。
「静止」と「静止・運動」を同じとしている。
「絶対」と「絶対・相対」を同じとしている。
「一元論」と「三元論」を同じとしている。
「始点」と「終点」を同じとしている。
「誕生」と「死」を同じとしている。
その上で、
「映像の世界」と区分けしているわけです。
「概念の世界」と区分けしているわけです。
「運動の世界」と区分けしているわけです。
「相対の世界」と区分けしているわけです。
「二元論の世界」と区分けしているわけです。
「円周の世界」と区分けしているわけです。
「生の世界」と区分けしているわけです。
いずれにしても錯覚に変わりはありません。
問題は、わたしたち一般のどぶねずみ人間です。
自覚症状がまったくない。
要するに、肉体は寝ても覚めても、意識(エゴという自我意識)は眠っている。
だから、二車線ある道路で何の疑問も持たずに前の車に追従して、一車線の道路にしてしまうというどぶねずみの暴走をしているのです。
行き着く先は、断崖絶壁から真逆様であることに気づいていないのです。

どぶネズミの暴走

いちばん うしろから ついていく どぶネズミが 前のに 訊ねた
一体どこに向かって走っているのだろう
前のどぶネズミは 前が 走っているから ただ ついて行くだけ と言った
だけど、気になるので その前の どぶネズミに 訊ねた
一体どこに向かって走っているのだろう
その前のどぶネズミも おなじ 返事をしたが 気になった
そして 前のどぶネズミに 訊ねた
一体どこに向かって走っているのだろう
とうとう 一番前のどぶネズミのところまできた
一体どこに向かって走っているのだろう
先頭を走るどぶネズミは だれにも 訊ねることができない
うしろからついてくるから ただ 走っているだけ と答えた
その答えが 一番うしろのどぶネズミに 伝わった
そりゃあー ないだろう と言った 途端
前の どぶネズミたちは 断崖から まっさかさま
ただ 一匹 そのどぶネズミは 呆然と立ちつくして
ああ 一番うしろでよかった