第二百三十三話 「一重の錯覚」と「二重の錯覚」

わたしたち人間は、“世の中のことはすべて運動変化していて、何一つ静止しているものはない”という諸行無常論をわかっていないから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争を繰り返しているのでは断じてないのです。
わたしたち人間は、“世の中のことはすべて運動変化していて、何一つ静止しているものはない”という諸行無常論の「運動の世界」を「実在の世界」、「現実の世界」と錯覚しているから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争を繰り返しているのです。
新田哲学風に言えば、
「概念の世界」を「観念の世界」と錯覚している。
「映像の世界」を「実在の世界」と錯覚している。
「運動の世界」を「静止の世界」と錯覚している。
「相対の世界」を「絶対の世界」と錯覚している。
「二元論の世界」を「一元論の世界」と錯覚している。
「円周の世界」を「始点の世界」と錯覚している。
「生の世界」を「誕生の世界」と錯覚している。
更に、
「観念の世界」と「理解の世界」を同じだと錯覚している。
「実在の世界」と「現実の世界」を同じだと錯覚している。
「静止の世界」と「静止・運動の世界」を同じだと錯覚している。
「絶対の世界」と「絶対・相対の世界」を同じだと錯覚している。
「一元論の世界」と「三元論の世界」を同じだと錯覚している。
「始点の世界」と「終点の世界」を同じだと錯覚している。
「誕生の世界」と「死の世界」を同じだと錯覚している。
この二重の錯覚をしているから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争を繰り返しているのです。
宗教者や科学者は一重の錯覚をしているシンプルな阿呆です。
哲学者は二重の錯覚をしている複雑な阿呆です。
いずれにしても阿呆に変わりはありません。