第二百三十一話 永遠 V.S 変化

天地創造主であり、人知を超えた絶対的な神など断じて存在し得ません。
更に、
そもそも、天地創造主なども存在し得ませんし、人知を超えた絶対的なものも存在し得ません。
すべてのものが、円回帰運動の過程に過ぎず、円回帰運動には三つの過程がある。
つまり、
始点と円周と終点の三つの過程があります。
それを言い換えれば、
静止と運動と静止・運動の三つの過程です。
始点という静止状態は運動経験がないが、終点という静止状態は運動経験があるから静止・運動となるのです。
それを言い換えれば、
実在と映像と現実の三つの過程です。
それを言い換えれば、
観念と概念と理解の三つの過程です。
それを言い換えれば、
絶対と相対と絶対・相対の三つの過程です。
それを言い換えれば、
一元論と二元論と三元論の三つの過程です。
それを言い換えれば、
誕生と生と死の三つの過程です。
静止する実在、運動する映像、鑑賞する現実。
静止していたものが、運動することによって、鑑賞者が誕生した。
映写フィルム(静止画フィルム=実在の世界=静止の世界=絶対の世界=一元論の世界=始点の世界=誕生の世界)が、運動することによって、映画(動画面=映像の世界=運動の世界=相対の世界=二元論の世界=円周の世界=生の世界)が映し出され、それを鑑賞する鑑賞者(映画館の席にいる鑑賞者=現実の世界=静止・運動の世界=絶対・相対の世界=三元論の世界=終点の世界=死の世界)が誕生することによって、円回帰運動が完結する。
鑑賞者とは本来全体感ですが、映画(動画面=映像の世界=運動の世界=相対の世界=二元論の世界=円周の世界=生の世界)に自己同化すると部分観になる。
全体感(Total Feeling)こそが、実在する唯一の想い(Only One Feeling)。
つまり、Total=Only One
集合意識=全体感(Total Feeling)が唯一の意識であり、個別意識(潜在意識&顕在意識)=部分観は映像に過ぎない。
しかも、その 集合意識=全体感(Total Feeling)、つまり、鑑賞者も、映写フィルム(静止画フィルム=実在の世界=静止の世界=絶対の世界=一元論の世界=始点の世界=誕生の世界)あっての鑑賞者(映画館の席にいる鑑賞者=現実の世界=静止・運動の世界=絶対・相対の世界=三元論の世界=終点の世界=死の世界)である。
つまり、
宗教が主張する神は、天地創造者でもなく、人知を超えた絶対的な存在でもなく、静止していたもの(実在)が、運動することによって映し出された(映像)を、鑑賞する者に外ならなかったのです。
神も被造物なのです。
神を人知を超えた存在として扱った、アインシュタインの相対性理論も被造物(捏造物)に過ぎないのです。
諸行無常論、つまり、運動論、つまり、変化が相対性理論です。
諸行有常論、つまり、静止論、つまり、永遠が絶対性理論です。
21世紀には、どちらに軍配が上がるか、決着がつくでしょう。