第二百三十話 宇宙開発という大罪

誕生したものが死によって必ず戻るのが母なる大地・地球であるように、「神の観念」に基づく神とは自然(地球)であるように、「神の理解」に基づく神とは、母なる大地・地球に戻る本当の自分に外ならない。
地球上に存在するすべての生命体、つまり、生きとし生けるすべてのものは、母なる大地・地球から生まれて、死んで母なる大地・地球に戻る。
では、生きている間は、母なる大地・地球から独立した存在であるのかと言えば、決してそうではありません。
一瞬でも、地球から独立した存在になろうとすれば、死がやって来て、母なる大地・地球に戻ることを余儀なくされます。
結局の処、
地球上に存在するすべての生命体、つまり、生きとし生けるすべてのものは、母なる大地・地球そのものであるのです。
地球という星は、陸と海で構成され、それぞれが、岩石と水といった鉱物ですが、植物も動物も鉱物と同じで、地球を構成している成分なのです。
つまり、地球という星は鉱物・植物・動物という成分で構成された星であって、地球上に存在するすべての生命体、つまり、生きとし生けるすべてのものとは、地球という星を構成している成分(構成員)に外ならないのです。
つまり、
地球上に存在するすべての生命体、つまり、生きとし生けるすべてのものとは、地球そのものであるのです。
わたしたち人間も、地球そのものなのです。
母なる大地・地球こそが「本当の自分」なのです。
拙著「神の自叙伝」で、地球の「想い」を「カミ」とした所以がここにあります。
地球の「想い」=「神(カミ)」=本当の自分
本当の自分とは、地球の「想い」に外ならないのです。
わたしたちひとり一人の人間(肉体として)の「想い」が自我意識(エゴ)なのですが、自我意識(エゴ)は実体がなくて、実体があるのは地球の「想い」だけであって、地球の「想い」が本当の自分なのです。
たとえば、地球の構成成分である水は、厳密に言えば、HO という分子化合物です。
摂氏100度以上のHO という分子化合物は水蒸気になり、摂氏100度と0度の間のHO という分子化合物は水になり、摂氏0度以下のHO という分子化合物は氷になるように、形態が水蒸気や水や氷と一見違っていても実相は同じHO という分子化合物なのであり、単に位相の変化、つまり、相転移現象に過ぎないわけで、誕生して生きそしてやがて死ぬことも所詮は位相の変化に過ぎず実相は何も変わらないことを示唆しています。
わたしたち人間の肉体の構成成分の70%はやはりこのHO という分子化合物です。
体温である37度前後の時は、生きている、つまり、水という位相を保っているが、死んで焼かれれば、水蒸気に変わって、地球の大気に戻ります。
つまり、
自我意識(エゴ)とは、摂氏100度と0度の間の水という状態だけの時の「想い」であって、すべての状態でのHO という分子化合物の「想い」、つまり、本当の自分である地球の「想い」ではないのです。
自我意識(エゴ)は本当の自分ではない証明です。
結局の処、
わたしたち人間も、誕生・生・死というそれぞれの位相があっても、一貫しているのは、地球そのものであるという事実だけです。
従って、
地球そのものである、わたしたち人間が、地球以外の星に「想い」を馳せることは、「神」への冒涜になり、本当の自分を裏切ることになります。
宇宙に想いを馳せるなど言語道断です。