第二百二十六話 買い被られた神

神は決して天地創造主ではなく、人間と同じ被造物の一つに過ぎなかった。
しかも、神は天地創造主の被造物ではなく、人間の被造物に過ぎない。
天地創造主の他の被造物にとっては、ゴミのような物です。
だから、彼らは、平気で神に小便を引っ掛けることができるのです。
彼らでも、彼らにとっての創造主、つまり、自然に対しては小便を平気で引っ掛けることはできず、小便をすべき処で小便をしています。
つまり、彼らにも小便のルールがある。
だが、神社・仏閣・教会・モスク・シナゴーグなどは、彼らの守るべきルールの対象ではないので、何のためらいもなく平気で小便を引っ掛けます。
更に、ペットの犬や猫にとっては、神社・仏閣・教会・モスク・シナゴーグには平気で小便を引っ掛けますが、自分の家、つまり、飼い主の人間の家には決して小便を引っ掛けません。
家の中で小便をしないように躾られた犬のことを、英語で“house-broken dog (house-trained dog)”と言いますが、“house-broken (house-trained)”とは、“(人間)社会に受け入れられる”、“従順な”という意味なのです。
つまり、ペットの動物は人間社会に受け入れられた従順な動物だというわけです。
そんなペットにとっては、神社・仏閣・教会・モスク・シナゴーグ、つまり、神は、人間以下の物なのです。
だから、飼い主の人間の家では決して小便をしないのに、神社・仏閣・教会・モスク・シナゴーグに平気で小便を引っ掛けるのです。
これは一体何を示唆しているのでしょうか。
人間化したペットでも、自然(地球)社会に生きている他の生きものの一種で、自然(地球)社会のルールが絶対です。
そんな彼らにとって、神社・仏閣・教会・モスク・シナゴーグ、つまり、神とは、天地創造主の被造物ではなく、天地創造主の被造物の一つである人間の被造物、つまり、人間以下の物であることを示唆しているのです。
では何故、わたしたち人間は、他の生きものにとっては人間以下の物である神を、天地創造主や人知を超えた絶対的な存在などと祀り上げたのでしょうか。
どうやら、その辺に、わたしたち人間(どぶねずみ人間)が、「概念の世界」、「映像の世界」、「相対の世界」、「運動の世界」、「二元論の世界」、「円周の世界」、「生の世界」を生き、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送り、差別・不条理・戦争を繰り返している原因がありそうです。