第二百九話 すべては円回帰運動

マクロ世界の宇宙からミクロ世界の素粒子まで貫く法則である円回帰運動。
わたしたちが存在する宇宙の基本が円回帰運動なのです。
マクロ世界からミクロ世界までを貫く円回帰運動が、わたしたち人間社会においては、『誕生・生・死』の問題と捉えられているだけです。
人生は、誕生から始まり、生を生きて、最後に死がやって来る。
その中で、やれ病気だの、やれ貧乏だの、やれ幸福だの、やれ出世だの、やれ戦争だの、やれ平和だの・・・・と一喜一憂しながら生きているのは、わたしたち人間だけです。
マクロ世界の宇宙からミクロ世界の素粒子まで、その間にある他の生きものたちが存在するミディアム世界まで、わたしたち人間以外の存在物はすべて、淡々と円回帰運動と捉えているのです。
わたしたち人間だけが、どんな出来事(事象)でも、「是否論」=「有論」、つまり、“好い悪い”で考えます。
つまり、
「映像の世界」を生きているのです。
マクロ世界の宇宙からミクロ世界の素粒子まで、その間にある他の生きものたちが存在するミディアム世界まで、わたしたち人間以外の存在物はすべて、どんな出来事(事象)でも、「無論」、つまり、“好い悪い”の無い、在りのままを受け入れます。
つまり、
「実在の世界」を生きているのです。
わたしたち人間だけが、「映像の世界」を生き、他のすべての存在物は「実在の世界」を生きているのです。
「映像の世界」だから、一喜一憂、つまり、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖がある。
「連想の世界」だから、一喜一憂、つまり、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖がある。
ひとつ一つの「想い」から、一喜一憂、つまり、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖は生じません。
円回帰運動の円周などそもそも存在しない。
連点が繋がっていると錯覚するから、円周が映し出されるのです。
わたしたち人間以外の存在物はすべて、ひとつ一つの「想い」、つまり、どんな出来事(事象)でも、「無論」、つまり、“好い悪い”の無い、在りのままを受け入れているのです。
つまり、『今、ここ』という静止一点を生き切っているのです。
それが、「実在の世界」です。
わたしたち人間だけが、ひとつ一つの「想い」、つまり、連点が繋がっていると錯覚するから、どんな出来事(事象)でも、「是否論」=「有論」、つまり、“好い悪い”で考えるのです。
つまり、『過去・現在・未来』に想いを馳せる、連想をするのです。
それが、「映像の世界」です。
まさに、
静止画フィルムの世界が「実在の世界」であり、映画の世界が「映像の世界」なのです。