第二百八話 悟り=円回帰運動

マクロ世界の宇宙からミクロ世界の素粒子まで貫く法則である円回帰運動。
宇宙のはじまりは静止していた、ところが運動しはじめた。
それが永遠運動、つまり、円回帰運動のはじまりです。
始点が終点に回帰する円運動のはじまりです。
ビッグバン以前の静止宇宙から、ビッグバン以後の運動宇宙の誕生です。
円回帰運動とは永遠運動に外ならず、永遠運動とは、静止(始点=終点)と運動(円周)の繰り返しに外なりません。
円回帰運動するとは、対立二元要因(実は補完要因)を網羅している点にあります。
言い換えれば、
永遠運動するとは、矛盾している二元要因を包含している点にあります。
「無限」と「有限」。
「果て」と「果てしない」。
マクロ世界からミクロ世界を貫く世界(全体)の一部である人間社会では、円回帰運動を『誕生・生・死』と捉えたため、矛盾している二元要因としての、「無限」と「有限」、「果て」と「果てしない」といった問題が、「こっち」と「あっち」、「人間」と「人間を超えたもの(神)」、「この世」と「あの世」、「天国」と「地獄」・・・といった勝手な区分けをするようになったわけです。
わたしたち人間だけが、円回帰運動を『誕生・生・死』と捉えるのは勝手ですが、問題は、“生が好くて、死(誕生)が悪い”と自分勝手な好いとこ取りをした点にあります。
更に問題は、実在しないものを好いと捉え、実在するものを悪いと捉えた点にあります。
わたしたち人間は、二重の過ちを犯したわけです。
ひとつ目の過ちは、
永遠運動するには、静止・運動・静止・運動の繰り返しが必要であって、静止は絶対一元静止だが、運動は相対二元(静止・運動)であって、絶対一元運動なんてないのに、運動一元と捉えたことです。
ふたつ目の過ちは、
永遠運動するには、静止(始点と終点)という実在と、運動(円周)という不在概念(映像)で成立するのに、運動(円周)という不在概念(映像)を実在するものと捉えたことです。
誕生(始点)・死(終点)が実在であって、生(円周)は誕生(始点)・死(終点)の不在概念(映像)に過ぎないことを理解できなかったのです。
まさに、点をぐるぐる回せば「連点」となり、それが「円」という映像を映し出す錯覚をしたわけです。
しかし、こういった二重の過ちを犯すのも、円回帰運動の一環であって、必ず最後には終点に辿り着くのです。
つまり、
「理解の世界」、「現実の世界」、「絶対・相対の世界」、「静止・運動の世界」、「三元論の世界」、「終点の世界」、「死の世界」に辿り着くのです。
お釈迦さんが言ったそうです。
“悟りとは、遥か遠い先にあるものではなく、すべての人間が生まれながらにして具えていたものであり、それを思い出すことに外ならない”
まさに、円回帰運動であります。