第二百七話 死を怖れる理由

わたしたち人間が、本当の人間か、どぶねずみ人間かの違いは、本音と建前の乖離度に比例すると言ってもいいでしょう。
悟りのバロメーターと同じで、100%本音で生きることは、100%悟っているのと同じです。
『今、ここ』を生きているバロメーターと同じで、100%本音で生きることは、100%『今、ここ』を生きているのと同じです。
他の生きものたちは、「観念の世界」、「実在の世界」、「絶対の世界」、「静止の世界」、「一元論の世界」、「始点の世界」、「誕生の世界」を生きていて、一律性を保つことができるから、100%『今、ここ』を生き、100%本音で生き、100%悟って生きることができるのです。
つまり、
無知ゆえ悟っているのです。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の一生を送ることができるのです。
わたしたち人間(どぶねずみ人間)は、「概念の世界」、「映像の世界」、「相対の世界」、「運動の世界」、「二元論の世界」、「円周の世界」、「生の世界」を生きていて、多種多様に生きているから、100%『今、ここ』を生き切れず、つまり、『過去・現在・未来』に思いを馳せて、100%本音で生き切れず、つまり、建前で生きて、100%悟って生き切れず生きているのです。
つまり、
不完全な有知ゆえ迷っているのです。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送らなければならないのです。
「新しい人間(超人類)」は、「理解の世界」、「現実の世界」、「絶対・相対の世界」、「静止・運動の世界」、「三元論の世界」、「終点の世界」、「死の世界」を生きていて、自己を維持しつつ一律性を保つことができるから、100%『今、ここ』を生き、100%本音で生き、100%悟って生きることができるのです。
つまり、
完全な有知ゆえ悟っているのです。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた一生を送ることができるのです。
結局の処、
すべては、円回帰運動の一環に過ぎないのです。
従って、
すべてのものが目差すべきゴールとは、「理解の世界」、「現実の世界」、「絶対・相対の世界」、「静止・運動の世界」、「三元論の世界」、「終点の世界」、「死の世界」であります。
如何に「死の世界」を生きるかが課題なのです。
残念ながら、わたしたち人間は、「死の世界」で生きられず、「生の世界」で生きているのが現状です。
だから、死を忌み嫌い、死を怖れているのです。