第二百五話 本音と建前

「概念の世界」で生きている、わたしたち人間(どぶねずみ人間)は、「映像の世界」、「相対の世界」、「運動の世界」、「二元論の世界」、「円周の世界」、「生の世界」を生きている。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送らなければならないのです。
「観念の世界」で生きている、他の生きものは、「実在の世界」、「絶対の世界」、「静止の世界」、「一元論の世界」、「始点の世界」、「誕生の世界」を生きている。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の一生を送ることができるのです。
平たく言えば、
「概念の世界」で生きている、わたしたち人間(どぶねずみ人間)は、「建前の世界」、「ニセモノの世界」を生きている。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送らなければならないのです。
「観念の世界」で生きている、他の生きものは、「本音の世界」、「ホンモノの世界」を生きている。
だから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖と無縁の一生を送ることができるのです。
本音で生きているか、建前で生きているか。
他の生きものは100%本音で生きています。
わたしたち人間は本音と建前を使い分けて生きています。
まさに、「在り方」と「考え方」を使い分けて生きています。
つまり、知性を持つ生きもの・人間の所以がここにあります。
知性がなければ、100%本音で生きる。
知性を持てば、本音と建前を使い分けて生きる。
これは絶対道理に合いません。
その理由は、知性が不完全だからです。
その理由は、中途半端な知性だからです。
その理由は、不完全、中途半端な知性が、「概念の世界」をもたらしているからです。
わたしたち人間を観察してみると、いろいろな人間が多種多様にいます。
他の生きものを観察してみると、外見は違って見えても一律性を持っています。
何故でしょうか。
他の生きものは、100%本音で生きている「ホンモノ」だから、一律性を保つことができるのです。
わたしたち人間は、本音と建前を使い分けて生きている「ニセモノ」だから、多種多様なのです。
本音と建前の比率が千差万別なのですから当たり前です。
その理由は、わたしたち人間は、「概念の世界」、「映像の世界」、「相対の世界」、「運動の世界」、「二元論の世界」、「円周の世界」、「生の世界」を生きているからです。
他の生きものは、「観念の世界」、「実在の世界」、「絶対の世界」、「静止の世界」、「一元論の世界」、「始点の世界」、「誕生の世界」を生きているから、一律性を保つことができるのです。
結局の処、
わたしたち人間が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を送らなければならないのは、本音と建前を使い分ける、「ニセモノの世界」に生きているからに外なりません。
従って、
できるだけ本音で生きている人間は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖も、それだけ少なくて済むのです。
建前ばかりで生きている人間は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖も、それだけ多くなるのです。
そして、
「新しい人間(超人類)」は、100%本音で生きますから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖を超えた生き方ができるのです。