第二百二話 無責任な「映像の世界」

わたしたち人間社会だけに、差別・不条理・戦争があります。
自然社会には、差別・不条理・戦争はありません。
その理由は、「観念の世界」と「概念の世界」の違いです。
わたしたち人間社会は「概念の世界」です。
自然社会は「観念の世界」です。
「観念の世界」とは「本音の世界」、「ホンモノの世界」と言い換えてもいいでしょう。
「概念の世界」とは「建前の世界」、「ニセモノの世界」と言い換えてもいいでしょう。
つまり、
わたしたち人間社会は、「建前の世界」、「ニセモノの世界」なのです。
だから、新田哲学では「映像の世界」と言うのです。
自然社会は、「本音の世界」、「ホンモノの世界」なのです。
だから、新田哲学では「実在の世界」と言うのです。
新田哲学では「三の法則」があると以前お話しました。
(1) 「二元論」
(2) 「全体と部分の相対性の法則」
(3) 「在り方と考え方」
これら三つの法則を一言で言えば、「全体感と部分観」の関係に外ならない。
わたしたち人間だけが、「部分観」で生きているから、「死の概念」を持ち、死を怖れ、悩みや四苦八苦を持ち、支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会を生み、差別・不条理・戦争を繰り返し、挙句の果てに、地球温暖化といった地球環境問題を惹き起こしている。
つまり、
「一元論」、「三元論」=「全体感」=「在り方」=「絶対」=「客観」
「二元論」=「部分観」=「考え方」=「相対」=「主観」
従って、
わたしたち人間社会は、「二元論の世界」、「部分観の世界」、「考え方の世界」、「相対の世界」、「主観の世界」、すなわち、「映像の世界」なのです。
自然社会は、「一元論の世界」、「全体感の世界」、「在り方の世界」、「絶対の世界」、「客観の世界」、すなわち、「実在の世界」なのです。
何故、わたしたち人間社会だけに、差別・不条理・戦争があるのか。
その理由は、「建前の世界」、「ニセモノの世界」、すなわち、「映像の世界」だからです。
映画を鑑賞しているわたしたちは、映画の中の出来事に責任を持てませんね。
映画を鑑賞して一喜一憂しているのに、映画の中の出来事に責任を持てませんね。
何故でしょうか。
自分が映画に出演していないからです。
まさに、「主観の世界」の所以です。
わたしたち人間社会に差別・不条理・戦争があるのは、「映像の世界」だからです。
映画の中の出来事に責任を持てないからです。
まさに、
“汝、差別するなかれ”と考えながら、差別する、無責任なわたしたち人間。
“汝、不条理するなかれ”と考えながら、不条理する、無責任なわたしたち人間。
“汝、戦争するなかれ”と考えながら、戦争する、無責任なわたしたち人間。
差別・不条理・戦争が絶えない、無責任なわたしたち人間社会が「映像の世界」の所以です。
アメリカのブッシュ大統領が平和を高らかに謳いながらイラク戦争を続けている。
まさに、“汝、戦争するなかれ”と考えながら、戦争する、無責任なわたしたち人間の典型であります。
彼は、自分たちの人間社会が「映像の世界」であることを自覚していないからです。
だから無責任極まりないことを平気でしているのです。
まさに、自覚症状のない音痴であります。
一番性質(タチ)が悪いのです。