第二百一話 差別・不条理・戦争のない社会のキーワード

アメリカの黒人やインディアン差別、オーストラリアのアボリジニ差別、南アフリカのアパルトヘイト問題など、世界に存在する差別問題は、侵略する者と侵略される者の間で生じた差別問題に尽きます。
言い換えれば、侵略者と先住民(原住民)との間で必ず起こるのが、差別問題なのです。
侵略者が「新しい支配者」になり、「旧い支配者」である先住民(原住民)を「新しい被支配者」に仕立てる。
そこに、差別社会が誕生するわけです。
支配する者と支配される者で構成される、新田哲学で主張する「支配・被支配二層構造の社会」が誕生するのは、侵略者と先住民(原住民)、つまり、被侵略者との間で織り成す必然的な成り行きであり、差別社会が登場するわけです。
侵略者と被侵略者。
これは何を意味するか。
領土問題、つまり、土地問題を意味します。
縄張り争いと言い換えてもいいでしょう。
自然社会で生きている他の生きものたちも、縄張り争いをします。
そういう点では、侵略者・被侵略者問題は自然社会に則した問題と言えます。
自然社会での縄張り争いは、餌の獲得に関わる縄張り争いに外なりません。
つまり、食べるための縄張り争いなのです。
縄張り争いに負けた生きものたちは、その場所から立ち去ります。
ここが、人間社会における侵略者・被侵略者問題と違う点です。
人間社会では、縄張り争いに負けた先住民(原住民)は、立ち去ることを許されず、被支配者として一生こき使われます。
奴隷の誕生です。
他の生きものの自然社会と、人間社会との決定的な違いがここにあります。
何故この違いが起こったのでしょうか。
餌の蓄積の概念が、人間社会にはあるからです。
自然社会には、「蓄積の概念」がない。
人間社会には、「蓄積の概念」がある。
「今朝のお話(Daily Discourse)」Vol.(II)の結論を思い出してください。
他の生きものたちは、「観念の世界(The world of feeling)」で生きています。
わたしたち人間(どぶねずみ人間)は、「概念の世界(The world of thinking (concept))」で生きています。
「新人類(超人類)」は、「理解の世界(The world of understanding)」で生きます。
そうです。
自然社会には、「蓄積の観念」があっても、「蓄積の概念」はないのです。
人間社会には、「蓄積の概念」があるのです。
従って、
「新しい人間社会」には、「蓄積の理解」が必要なのです。
差別・不条理・戦争のない人間社会のキーワードは、「蓄積の理解」です。