第九十八話 致命的な錯覚

すべての悩みや四苦八苦は持ち越し苦労と取り越し苦労が原因です。
持ち越し苦労とは過ぎ去った『過去』の出来事を引き摺る苦労で、究極の持ち越し苦労は誕生の問題です。
取り越し苦労とは未だ来ぬ『未来』の出来事を引き摺る苦労で、究極の取り越し苦労は死の問題です。
いずれも、解決不可能な問題です。
何故解決不可能なのか。
それは、『今の自分』には何もできないからです。
解決可能なのは、『今の自分』にできることだけです。
ところが、わたしたち人間は問題解決のために『過去』や『未来』に思いを馳せているのであって、『今の自分』には何もできないからだと主張する。
まるで正反対の主張をしているわけです。
『今の自分』しか問題の解決はできないのに、『過去の自分』若しくは『未来の自分』が解決できると思い込んでいるから、『今、ここ』に居らず、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せているのです。
このまるで正反対の思い込みは一体何が原因なのでしょうか。
『今の自分』が静止していて、『過去・(現在)・未来』が運動していると錯覚しているからです。
『今の自分』が乗っている『今』という虚時間の汽車が動いていて、窓外の『過去・現在・未来』という実時間の光景は静止しているのに、『今』という虚時間上にいる『自分』が静止していて、窓外の『過去・現在・未来』という実時間の光景が運動していると錯覚しているからです。
静止しているものをどうこうすることはできません。
運動しているものはどうこうすることができます。
わたしたち人間は、『今の自分』が静止していて、『過去・(現在)・未来』が運動していると錯覚しているから、『過去の自分』若しくは『未来の自分』が問題を解決でき、『今の自分』は問題を解決できないと思い込んでいるのです。
しかし実際は、『今の自分』が運動していて、『過去の自分』や『未来の自分』は静止しているのです。
つまり、問題を解決できるのは、『今の自分』しかいないのです。
わたしたち人間のこの錯覚(勘違い)は致命的であります。
究極の誕生と死の問題が解決できないのは当然です。