第八十六話 この世的成功=真の失敗

わたしたち人間だけが悟っていない錯覚(勘違い)の極みの生き物です。
それが知性ある考える生き物・人間の罪的側面の正体であります。
知性ある考える生き物・人間の功的側面が宗教・科学を背景にした文明、いわゆる、人間社会におけるこの世的成功であります。
拙著「新しい日本」第九章【錯覚症状の亢進】で述べておりますように、文明の進化が錯覚(勘違い)という病状を悪化(亢進)させているわけです。
この世的成功と錯覚(勘違い)とは表裏一体の一枚のコインに外ならなかったわけであり、宗教や科学は錯覚(勘違い)症状を悪化(亢進)させる麻薬に外ならなかったのです。
宗教と科学は一見、対立関係にあるようですが、実は間違った「二元論」である、好いとこ取りの相対一元論の二律背反関係にあった。
平たく言えば、同じ穴の狢であったのです。
宗教は精神文明の進化に貢献し、科学は物質文明の進化に貢献したと、わたしたち人間が思い込んでいただけで、実は、宗教も物質文明の進化に加担していただけであることは、口が酸っぱくなるほどお話してきた通りです。
アリストテレスや孔子が、物質文明に加担した宗教・科学のこの世的成功者の代表であり、人間を錯覚(勘違い)の極みの生き物に仕立てた張本人であります。
ディオゲネス、ヘラクレイトスや老子は、そんな錯覚(勘違い)に気づいていた真の賢者であります。
現代社会でも、この世的成功を収めている人間ほど錯覚症状が亢進しているのは間違いありません。
それは、人生の最終結論で必ず証明されます。
この世的成功を収めた者ほど、この世的なものに対する執着が強くなるのは当然です。
財産、権力、名誉に執着があるから、財産、権力、名誉を得られたわけです。
財産、権力、名誉に執着があればあるほど、財産、権力、名誉を失うことを怖がります。
この世で財産、権力、名誉を失わないように必死に頑張っても、死の概念を持っている人間ですから、最終結論である死で以ってすべてを失うことはわかっている。
だから、世襲・相続の差別制度を考え出し、支配・被支配二層構造の社会を創り出し、宗教・科学に加担させたわけです。
つまり、この世的成功を収めた者が必ず陥る罠は、人生の最終結論である死を好くないもの、不吉なものと捉えながら、死への行進過程にある人生を好いものにしたい、吉なるものにしたいと考えて生きる錯覚の極みなのであります。
人生の最終結論である死を好いもの、吉なるものと捉えない限り、好い人生、吉なる人生はありえないのです。
逆に言えば、いかにこの世的に悪い人生、つまり、貧乏で弱者で不幸な人生を送っても、人生の最終結論である死を好いもの、吉なるものと捉えていれば、どんなこの世的四苦八苦も苦にはならないのです。
この真理をわかっていたディオゲネス、ヘラクレイトスや老子こそが真の賢者(成功者)であり、そんな彼らを理解できなかった、この世的成功を収めたアリストテレスや孔子は真の愚者(失敗者)であります。
二十一世紀中には必ずこのことを、わたしたち人間みんながわかります。