第八十四話 “他人の存在が天国である”

“自分は間違っていたのでは?”と自問すると途端に胸の支えがスッとおりる。
“自分は・・・正しいのだ!”と確信すると途端に胸の支えで重くなる。
ところが、大半の人間は“自分は・・・正しいのだ!”と思い込み、支えで胸を重くしながら生きている。
挙句の果てに、死の恐怖にも苛まれる。
なぜこんな馬鹿げた生き方をしているのでしょうか。
“自分は・・・正しいのだ!”と確信すると、“相手が・・・悪いのだ!”と自動的に思う。
お互いが、“自分は・・・正しいのだ!”、“相手が・・・悪いのだ!”と思う。
言い換えれば、世の中のすべての人間が悪いことになる。
だから、人間社会だけに、差別・不条理・戦争が蔓延するわけです。
逆に、“自分は間違っていたのでは?”と思うと、“相手が・・・正しいのでは?”と自動的に思うようになる。
そうすると、世の中のすべての人間が正しいことになり、差別・不条理・戦争が人間社会からなくなるわけです。
現に、世の中が差別・不条理・戦争で蔓延していることは万人が認めるところです。
ということは、自分も含めて世の中の全員が、“自分は・・・正しいのだ!”、“相手が・・・悪いのだ!”と思い込んでいるのです。
これはまさに地獄絵です。
ひとり一人の人間が、“自分は・・・正しいのだ!”と思い込みながら、地獄絵の世の中になっている。
そのことにひとり一人が気づいていない。
何という錯覚の極みなのでしょうか。
政治の世界でも、経済の世界でも、いわゆるこの世的に成功した連中が、“自分は・・・正しいのだ!”と思い込みながら、地獄絵の世の中をつくっている。
ギリシャ時代のディオゲネスやヘラクレイトスが、この世的成功者の極みであるアレキサンダーの師・アリストテレスの生き方を見て馬鹿馬鹿しく思い、中国の老子が孔子を賛美する世の中を馬鹿馬鹿しく思って、現代的に言えば、ホームレスのような生活をしたのは肯けます。
ひとり一人の心の中の平和が先ずあって、その延長線上に、世の中の平和があるのです。
世の中の平和とは、“自分は間違っていたのでは?”とひとり一人が思うことで、“相手が・・・正しいのでは?”と思うようになる結果実現するのです。
フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルが言った“他人の存在が地獄である”とは、ひとり一人が“自分は・・・正しいのだ!”と思うことで、“相手が・・・悪いのだ!”と思うようになる結果生じる地獄絵なのです。
二十一世紀の金言として提唱します。
“他人の存在が天国である”
そうすると、“自分は間違っていたのでは?”と自動的に自問するようになり、覚醒、悟り、つまり、心の中の平和は、自ずから我が手中に入ります。