第八十話 悟りと迷い

意識(五感)が完全に覚めている状態が覚醒であり、悟りであります。
意識(五感)が完全に覚めていない状態が眠りであり、迷いであります。
一方、体(五臓六腑)は常に完全に覚めている。
従って、
覚醒している状態とは、体(五臓六腑)も意識(五感)も完全に覚めている状態であり、この状態を悟りと言うのです。
眠っている状態とは、意識(五感)が完全に覚めていない状態であり、この状態が迷いと言うのです。
わたしたち人間が、人生の最終結論である死に怯え、死に向かっての行進である生に迷い、四苦八苦しているのは、意識(五感)が完全に覚めていない、つまり、昼間起きている間でも目が覚めているだけであり、夜間夢を見ている間でも目が覚めているだけで、しかも、その目も完全に覚めておらず、他の四感に到っては、不完全極まりない状態であるのが原因なのです。
結局の処、
悟っているか、悟っていないかは、悟りの程度の問題であったのです。
悩み四苦八苦する人生か、そうでない人生かは、悟りの程度の問題であり、悩みや四苦八苦の程度、つまり、その内容(質)や大きさ(量)の問題ではなかったのです。
悩み四苦八苦する原因は、悩み四苦八苦の内容(質)と大きさ(量)にあると勘違い(錯覚)してきたから、悩み四苦八苦の内容(質)と大きさ(量)を何とかしようと躍起になってきたのが、わたしたち凡夫の人間だったのです。
意識(五感)が完全に覚めていないから、悩み四苦八苦するのであり、意識(五感)が完全に覚めたら、悩み四苦八苦など端から無いのです。
言い換えれば、
悩み四苦八苦する原因は、悩み四苦八苦の内容(質)、つまり、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄・悪魔・病気・・・奴隷一般大衆(被支配者側)と、その大きさにあったと勘違い(錯覚)してきたからであり、その結果、その不在概念である、生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国・神・健康・・・体制派(支配者側)を追い掛けてきたからです。
生は死の不在概念に過ぎない。
オスはメスの不在概念に過ぎない。
善は悪の不在概念に過ぎない。
強は弱の不在概念に過ぎない。
賢は愚の不在概念に過ぎない。
富は貧の不在概念に過ぎない。
幸福は不幸の不在概念に過ぎない。
天国は地獄の不在概念に過ぎない。
健康は病気の不在概念に過ぎない。
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体制派(支配者側)は奴隷一般大衆(被支配者側)の不在概念に過ぎない。
この真理を完全に理解していないのが、迷い四苦八苦の原因に外ならないのです。
この真理を完全に理解すれば、迷い四苦八苦など雲散霧消してしまうのです。
それを意識の悟りと言うのであり、意識の覚醒と言うのであり、意識を包含する体は端から悟っている、覚醒しているのです。