第七十八話 夢と現実

熟睡している間の睡眠だけが睡眠であり、夢を見ている間の睡眠は睡眠ではなく、寧ろ、目が覚めた状態と同じだったのです。
では目が覚めた状態と覚醒状態との違いは何でしょうか。
目が覚めた状態とは、その字の通り、視覚器官である眼が覚めている(開いている)状態であるのに対して、覚醒状態とは五感、つまり、視覚(眼)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(舌)、触覚(皮膚)がすべて覚めている(働いている)状態を言うわけです。
逆に言えば、
睡眠の睡眠たる所以は、五感がすべて覚めていない(働いていない)状態を言うわけであって、子供の頃の熟睡こそが完全な睡眠であり、大人になると熟睡自体も完全な睡眠になっていないのです。
一方、覚醒の覚醒たる所以は、五感がすべて覚めている(働いている)状態を言うわけであって、夢を見ている間も、目が覚めている間も、五感がすべて覚めていない(働いていない)状態なのが、わたしたち人間なのです。
“いや!そんなことはない!目が覚めている状態の時は、耳も覚めているし、鼻も覚めているし、舌も覚めているし、皮膚も覚めている。つまり、すべての五感が覚めている!”と反論されるでしょう。
五感がすべて覚めているということは、『自分は・・・』と思う自我意識、つまり、意識が完全に覚めていることを意味します。
第七十四話「睡眠=死」で、体と意識の覚醒についてお話したように、体全体が眠っていることは決して無くて、体の一部である五感、つまり、意識が眠っている状態と眠っていない状態があるだけです。
結局の処、
覚醒か睡眠かの違いは、すべての五感が覚めている状態を覚醒と言い、すべての五感が覚めていない状態を睡眠と言うわけで、言い換えれば、意識の覚醒か睡眠かの違いに過ぎないわけです。
では、わたしたちの目が覚めている状態、つまり、耳も覚めているし、鼻も覚めているし、舌も覚めているし、皮膚も覚めている、つまり、すべての五感が覚めている状態の時の意識は完全に覚めているでしょうか。
ここが最大の問題です!
わたしたちは、見る時は完全に見ているでしょうか。
わたしたちは、聞く時は完全に聞いているでしょうか。
わたしたちは、匂う時は完全に匂っているでしょうか。
わたしたちは、味わう時は完全に味わっているでしょうか。
わたしたちは、触る時は完全に触っているでしょうか。
もし、そうならば、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せている暇はなく、常に『今、ここ』に居なければなりません。
他の生き物たちが、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せることなど一切なく、常に『今、ここ』に居ると断言できるのは、彼らは常に、見る時は完全に見ている、聞く時は完全に聞いている、匂う時は完全に匂っている、味わう時は完全に味わっている、触る時は完全に触っているからです。
では、わたしたち人間は、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せることなど一切なく、見る時は完全に見ている、聞く時は完全に聞いている、匂う時は完全に匂っている、味わう時は完全に味わっている、触る時は完全に触っているでしょうか。
わたしたち人間だけが、意識が(完全に)覚めていなくて、眠っているのです。
夢がその証明です。
夢の中では、五感が完全に働いていません。
視覚動物である人間の場合は、殆どが視覚と聴覚だけで、たまに、触覚が働く。
嗅覚動物である犬の場合は、殆どが嗅覚だけです。
ただ彼らの場合は、目が覚めている時は、すべての五感が覚めている、つまり、意識が覚めているのです。
なぜなら、彼らは『今、ここ』を生き切っているからです。
わたしたち人間の場合は、夢の中でも、目が覚めている中でも、すべての五感が覚めていない、つまり、意識が眠っているのです。
なぜなら、わたしたちは『今、ここ』を生き切らず、しょっちゅう『過去・(現在)・未来』に思いを馳せているからです。
他の生き物にとっては夢と現実の違いはあるが、わたしたち人間にとっては夢も現実も同じ映像なのです。