第七十四話 睡眠=死

睡眠にはREM睡眠(夢を見ている間の睡眠)とNON-REM睡眠(熟睡している間の睡眠)の二種類があると前話でお話しました。
それ以外に目が覚めている状態があります。
わたしたちの一生は、この三つの状態を毎日繰り返しているわけです。
一生睡眠を採らない生き物がいるし、人間でも大半の人生を睡眠しないで生きたアメリカ人がいました。
睡眠を要求するのは脳の機能の一つなのですが、そのアメリカ人は、ある時からその機能が働かなくなり、以後、死ぬまで一睡もしなかったが、生きるのに何の支障もなかったそうです。
つまり、睡眠を要求する脳の機能が働かなくなっても病的症状は一切なかったわけです。
わたしたちは、睡眠を絶対必要だと思っていますが、現に必要としない人間や生き物がいたわけです。
これは何を意味しているのか、わたしたちはよくよく考える必要があります。
わたしたちが絶対必要だと信じている睡眠は必要悪に過ぎないということです。
必要悪ということは、少なければ少ないに超したことはない、無ければ無いに超したことはないということです。
ここにも、わたしたち人間は大いなる錯覚をしているのです。
新田哲学では、睡眠はNON-REM睡眠(熟睡している間の睡眠)だけが睡眠であり、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)は睡眠ではなく、目が覚めた状態と同じだと捉えています。
眠っているのに対して覚めていると言います。
では、何が眠っているのか、何が覚めているのでしょうか。
体が眠っているのと意識が眠っているのとがある。
体が覚めているのと意識が覚めているのとがある。
つまり、眠ったり、覚めたりしているのは、体と意識の二種類があるのです。
体とは体全体のことであり、意識とは五感だけ、つまり、体の一部です。
そうしますと、体全体が眠っていることなんて無いことがわかってきます。
心臓を中心の内臓は一生働いていて、睡眠など採ったことがありません。
結局の処、睡眠を採っているのは体全体ではなく、体の一部の五感だけなのです。
つまり、体は一生睡眠を採らない、採った時は死んだ時です。
睡眠を採っているのは五感、つまり、意識だけである。
しかも、五感が完全に眠っているのは滅多に無い。
基本的には、NON-REM睡眠(熟睡している間の睡眠)が、五感の完全に眠っている状態なのですが、それは子供の時だけで、大人になるとNON-REM睡眠(熟睡している間の睡眠)でも五感の一部は覚めている。
だから、目覚めるのです。
だから、生き返るのです。
そうでないと、永遠の眠り、つまり、死んでしまいます。
まして、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)は五感が全部働いているのですから、目が覚めている時と状況はまったく同じです。
目が覚めている時と、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)の時の違いは、五感の機能の程度の差だけです。
わたしたち人間は視覚動物、つまり、見る生き物ですから、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)の時は視覚がより強く働き、他の聴覚や嗅覚や味覚や触覚の働きがその分少ないだけです。
全盲の人の夢は、見る夢ではなく、聞く夢が大半で、匂う夢、味わう夢、触る夢は、目が不自由でない人より圧倒的に多いのです。
人間の100万倍の嗅覚があると言われている犬の夢は、見る夢よりも、匂う夢の方が圧倒的に多いのです。
そうしますと、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)と目が覚めている状態とは殆ど同じであることがわかってきます。
夢と目が覚めた状態のいわゆる現実は実は同じである根拠がここにあります。
新田哲学では、睡眠はNON-REM睡眠(熟睡している間の睡眠)だけであり、REM睡眠(夢を見ている間の睡眠)は目が覚めている状態と同じであり、言い換えれば、死→仮死→生→死→仮死→生を繰り返していることに外ならず、睡眠は必要悪に過ぎない、つまり、少なければ少ないに超したことはないと主張しているのです。
健康な人ほど睡眠は少なく、病人な人ほど睡眠は多いのです。
何故なら、睡眠は死に外ならないからです。