第七十二話 死の完全な正体

死が怖いのは、死の正体がわからないからです。
死ぬのが怖いのは、死期がわからないからです。
死も、死ぬのも怖くなくなるには、死の正体が完全にわかることです。
「死の観念」を持っている他の生き物は、死の正体がわからない。
「死の概念」を持っているわたしたち人間は、死の正体を少しわかった。
「死の理解」に至ったら、死の正体が完全にわかる。
そのためには、死期を知る、つまり、死期は自分で決めること、つまり、自分の命は自分で絶つことです。
では、死の正体を完全にわかるとは。
わたしたちが死ぬことを怖がっている理由の一つに、「消滅の恐怖」があります。
古今東西の宗教が主張する、輪廻転生説や“肉体は滅びても、魂は永遠”という考え方の背景には、「消滅の恐怖」があります。
死によって肉体は現に消滅するから、肉体の消滅は認めざるを得ない。
ところが、「魂」、つまり、「心」や「精神」や「霊」といった、新田哲学では「想い」と称しているものは目に見えないもので、目に見えないものが消滅すると一体何処に行くのかまるでわからない。
目に見えるものが消滅するのは仕方ないが、目に見えないものがどうして消滅するのか。
“死んだら「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」は一体何処に行くのか、まるでわからない”
それが「消滅の恐怖」です。
ところが、目に見える肉体は実は消滅などしていなくて形が変わっているだけだと、第六十四話「この世とあの世」でH2Oという分子化合物の相転移現象で説明しました。
一方、単なる(不在)概念である映像は消滅します。
「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」は『自分は・・・』という自我意識、つまり、エゴであり、映像に過ぎないともお話しました。
映像ならスイッチを切れば消滅します。
「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」、つまり、『自分は・・・』という自我意識(エゴ)の性質(たち)が悪いのは、目に見えない映像である点です。
「消滅の恐怖」の元凶がここにあります。
目に見える映像が夢やいわゆる目が覚めている時の現実であり、目に見えない映像が「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」、つまり、『自分は・・・』という自我意識(エゴ)ですが、両方とも五感の働きによって生じた映像に変わりはなく、スイッチを切ったら消滅します。
“死んだら「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」は一体何処に行くのか、まるでわからない”という「消滅の恐怖」など一笑に付せばいいのです。
「魂」、「心」、「精神」、「霊」といった「想い」、つまり、『自分は・・・』という自我意識(エゴ)の死に過ぎないのです。
一方、肉体の死とは消滅の死ではなく、肉体の70%を占める水分(H2O)が液体から気体(水蒸気)に変わり、他の骨や肉も位相の変化(相転移現象)をするだけで、分子化合物や元素はそのままです。
目に見える実在が目に見えない実在に変わるのが死の正体であり、そこには「消滅の恐怖」など一切ありません。
わたしたちが持っている「消滅の恐怖」とはエゴの死の恐怖に外ならないのです。
実在の死の正体。
映像の死の正体。
実在と映像の死の正体が、死の完全な正体です。