第七話 自他の区分け

『自分は・・・』と思う(考える)自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が、なぜ自分と他人の間に区分けをするのでしょうか。
では自分と他人の区分けはどうして起こるのでしょうか。
国と国との間には国境線があって、自分の国と他人の国の区分けをしているように、自分と他人(厳密に言えば自分以外のすべてのものを指します)との間に境界線を、人間だけが勝手につくったのです。
地球には海と陸の区分けがあるだけですが、わたしたち人間だけが勝手に陸と海の境界線を真似て国境線をつくった。
だから国境線というのは、地球(肉体)上の目印を利用して、海若しくは川によって引かれている場合が殆どのように、自分と他人との間の境界線というのは、肉体上の目印を利用して、自分の外皮によって引いているわけです。
自分の外皮とは皮膚のことであり、自分と他人(厳密に言えば自分以外のすべてのものを指します)との間に境界線として引かれている皮膚が、触覚機能を発揮して区分けをしているわけです。
触覚とは五感の一つであり、他に視覚としての目、聴覚としての耳、嗅覚としての鼻、味覚としての舌がありますが、結局は外皮である皮膚、つまり、触覚の一つです。
昆虫は、目や耳や鼻や舌よりも足の先で他人の存在を確認するのは、触覚動物だからです。
犬は、目や耳や舌や皮膚よりも鼻で他人の存在を確認するのは、嗅覚動物だからです。
人間は、耳や鼻や舌や皮膚よりも目で他人の存在を確認するのは、視覚動物だからです。
人間でも目の不自由な人は、目や鼻や舌や皮膚よりも耳で他人の存在を確認するのは、聴覚動物だからです。
自分と他人の区分けをしているのは、決して目だけではなく、耳でも、鼻でも、舌でも、皮膚でもしているわけで、自分の一番得意とする機能でしていることがわかります。
つまり、五感が自分と他人の境界線なのです。
わたしたち人間だけではなく、昆虫も犬も自他の区分けをしているし、地球も海や陸で区分けをしているように見えますが、問題は境界線を意識しているかどうかにあります。
わたしたち人間だけが、自分たちの勝手なルールで境界線を引いているのです。
国境線や土地の所有の境界線などが典型的な例です。
それは、五感で感知した後の処理に違いがあるからです。
他の生き物たちは、本能のままに生きています。
空腹であれば、他人を殺すことも平気でしますが罪意識はまったくありません。
なぜなら、彼らの世界には法律がないからで、あるのは自然の掟、つまり、地球の掟だけであり、地球の掟では空腹時の殺しは許されているのです。
それが本能の正体なのです。
わたしたち人間だけが、知性や理性で生きて、本能のままに生きていません。
空腹であっても、他人を殺すことは法律で許されておらず、殺す行為に罪意識があるからです。
ところが、空腹でなくても法律が許せば、戦争で平気で殺し、自然の掟、つまり、地球の掟を破って原爆を投下して、地球を傷つけています。
それが知性や理性の正体なのです。
他の生き物がしている自他の区分けは、善悪の区分けのない自他の区分けなのです。
わたしたち人間がしている自他の区分けは、善悪の区分けのある自他の区分けなのです。
では善悪の区分けはどのようにしてされるのでしょうか。
自分の都合の好いことが善、自分の都合の悪いことが悪。
逆に言えば、
他人の都合の好いことが悪、他人の都合の悪いことが善。
これが、人間社会だけにある差別や不条理、そして、挙句の果てに、戦争までしでかす原因なのです。