第六十八話 『過去・現在・未来』=光景=記憶

自分以外の他者はすべて映像であり、目が覚めている間の現実も眠っている中で見ている夢と同じ映像であるのに、それらを現に実在する現実だと、わたしたち人間が錯覚してきたのは、『過去・現在・未来』という光景(空間)を時間と錯覚したことが原因です。
では一体いつごろから、そんな錯覚を人類はしはじめたのでしょうか。
死の概念を持った時です。
つまり、“自分はいつか必ず死ぬ”ということを知った時です。
知性の誕生した時と言い換えてもいいでしょう。
他の生き物は死の概念を持っていません。
だから、『過去・(現在)・未来』に思いを馳せないで、『今、ここ』を生き切ることが出来るのです。
知性とは「考える」ことであり、「考える」とは『過去・(現在)・未来』に思いを馳せることであり、未だ来ぬ未知・未来の出来事の終着駅が死であるから、知性を得た人類は“自分はいつか必ず死ぬ”ということを知ったのです。
わたしたち人間は母親の胎内から産まれ堕ちた時からの記憶はありません。
せいぜい、3才から5才頃以降の記憶しかありません。
記憶とは『過去・(現在)・未来』に思いを馳せた結果の産物であり、「考える」ことを始めた結果の産物であり、その終着駅に死があることを知る。
終着駅の死まで知ることは、まだ3才から5才頃よりずっと以降のことですが、その縁、つまり、きっかけをつくったのが記憶の始まりであり、「考える」ことを始めた時であり、「考える」主体である『自分は・・・』と思う自我意識、つまり、エゴという「心」や「魂」や「霊」や「精神」が誕生した時であるのです。
『自分は・・・』と思う自我意識、つまり、エゴという「心」や「魂」や「霊」や「精神」が誕生するのが、だいたい3才から5才頃であり、その時から『過去・(現在)・未来』という光景の記憶が始まり、その記憶を時間という名札で憶えることから、記憶=『過去・(現在)・未来』=時間という錯覚が始まったのです。