第六十七話 『過去・現在・未来』は時間ではない

『今』という時間の汽車から窓外に見える光景が『過去・現在・未来』の正体であったのです。
『今』という時間の汽車の進行方向の前景が未来であり、通過した後景が過去であり、窓外の正面景が現在であるわけです。
窓外の光景が未来(前景)から現在(正面景)を通過して過去(後景)へと走っているように見えます。
わたしたちは、『過去・現在・未来』を時間と思っていたが、実は光景(空間)だったのです。
わたしたちは、同じように、記憶を時間と思っていますが、記憶も実は光景(空間)なのです。
動いている光景(空間)だから『過去・現在・未来』を時間と錯覚するのです。
何故なら、運動=時間だからです。
距離を『過去・現在・未来』という時間で微分したら速度になる(dL/dt = V)。
速度を『過去・現在・未来』という時間で微分したら加速度になる(dV/dt = α)。
速度、加速度があることを「運動」と言うのであって、速度や加速度は時間を基本としているからです。
アインシュタインが空間という三次元世界の上の四次元要因として時間を置いたのは、動いている空間(光景)こそが四次元世界だからです。
だから、四次元要因としての時間は、窓外を走っている(動いている)『過去・現在・未来』という光景(空間)でなければならなかったのです。
しかし、『今』という時間の汽車の窓外に見えている光景は、実は静止しているのです。
『今』という時間の汽車が走っているのであって、窓外の『過去・現在・未来』という光景(空間)は静止しているのです。
『過去・現在・未来』という光景(空間)を時間と錯覚したのは、動いている光景だからですが、実は光景(空間)は静止している。
実在する空間(光景)は静止し、映像が運動している。
静止宇宙が実在で、運動宇宙は映像である。
ところが、わたしたち人間は、運動宇宙、つまり、映像を実在と錯覚している。
この錯覚は、『過去・現在・未来』という光景(空間)を時間と錯覚したことから来ているのです。