第六十六話 錯覚の原因

『自分は・・・』と思う自我意識が在れば、本当の自分は無い。
本当の自分が在れば、『自分は・・・』という自我意識が無い。
本当の自分が在る世界が実在の世界です。
『自分は・・・』という自我意識が在る世界が映像の世界です。

意識が在るとは「考える」ことに外なりません。
部分観と言い換えてもいいでしょう。
『過去・(現在)・未来』に思いを馳せている状態と言ってもいいでしょう。
運動の相対二元世界(静止・運動を繰り返す)世界にいる状態と言ってもいいでしょう。
映像(動画面‐アニメーション)の世界にいる状態と言ってもいいでしょう。
水平の世界にいると言い換えてもいいでしょう。

意識の無い状態が「在る」ことに外なりません。
全体感と言い換えてもいいでしょう。
『今、ここ』にいる状態と言ってもいいでしょう。
静止の絶対一如(一元)世界にいる状態と言ってもいいでしょう。
実在(静止画フィルム)の世界にいる状態と言ってもいいでしょう。
垂直の世界にいると言い換えてもいいでしょう。

実在の世界と映像の世界とは一体どんな関係なのか。
垂直の世界と水平の世界とは一体どんな関係なのか。
拙著「(静止)宇宙論」の最後の最後を締め括った第三部第四十九章(超絶対・相対性理論)および第五十章(超宇宙進化論)で、その詳細を述べておりますが、わかり易く言えば、
わたしたち人間の一生、つまり、人生とは、『今』という時間の汽車に乗って旅をしているようなものである。
窓外には『過去・現在・未来』という光景が走って見えるが、実は窓外の『過去・現在・未来』という光景は止まっていて、『今』という時間の汽車に乗って旅をしている自分が走っているだけで、動いているのは自分である。
だから『過去・現在・未来』という時間が流れているように錯覚するのである。
だから『過去・現在・未来』という光景(空間)を時間と錯覚するのである。
本当の時間とは『今』だけであり、『今』という時間の汽車に乗って人生の旅をしている本当の自分の居る(在る)場所が『ここ』である。
従って、本当の自分が居る(在る)場所が『今、ここ』である。
ところが、『今』という時間の汽車と一緒に走っている自分だから、恰も、自分は止まっていて、窓外の『過去・現在・未来』という光景(空間)が動いているように錯覚している。
自分が動いていて、窓外の光景は止まっているのに、自分が止まっていて、窓外の光景が動いていると錯覚する。
地球と一緒にいる自分が動いていて、地上の天空は止まっているのに、自分が止まっていて、地上の天空が動いていると錯覚する。
わたしたち人間だけが窓外の『過去・現在・未来』という光景(空間)を観る、つまり、『過去・現在・未来』に思いを馳せるから、実在と映像の二つの世界を錯覚するのである。
他の生き物は窓外の『過去・現在・未来』という光景(空間)を決して観ない、つまり、『過去・現在・未来』に思いを決して馳せないから、実在の世界だけを錯覚しないでいられる。