第六十四話 この世とあの世

「無限」宇宙が実在するもので、「有限」宇宙は映像に過ぎない。
ところが、科学は、「有限」宇宙が実在するもので、「無限」宇宙は人知の及ばない神の領域だと言う。
それを受けた宗教は、「有限」宇宙が映像、つまり、この世で、「無限」宇宙が実在、つまり、あの世で、神はこの世とあの世を貫く存在だと言います。
一見、新田哲学とよく似ていますが、実はまるで違います。
宗教は、この世、つまり、生きている世界と、あの世、つまり、死後の世界とを区別(差別)している。
この世(「有限」宇宙=映像世界)とあの世(「無限」宇宙=実在世界)を二律背反関係、つまり、対立二元要因にする間違った二元論に陥っているわけです。
平たく言えば、あの世(「無限」宇宙=実在世界)が好くて、この世(「有限」宇宙=映像世界)が悪い(好くない)とした、好いとこ取りの相対一元論であるわけで、宗教同士がいがみ合い、対立するのは、お互い自分が正しくて(好くて)、他人(他の宗教)が悪い(好くない)と、自分にとって都合の好いとこ取りをしているからです。
すべての宗教が共通しているのは、自分たちの宗教だけが好くて、それ以外のすべての宗教は間違いだと主張する点です。
お互いに自分だけが正しいと思い込み、相手、つまり、他人(他の宗教)が間違っていると思い込む。
これは100%不可能な考え方であり、宗教が「無いものねだり」の好いとこ取りの相対一元論に嵌っている証明です。
よくよく考えてみれば、ミイラ取りがミイラになっている証明であり、宗教の落とし穴です。
宗教の世界のみならず、政治の世界でも同じミイラ取りがミイラになっている例があります。
戦争を永久放棄する平和憲法の日本以外の世界の国は、永世中立国のスイスやオーストリアでも「専守防衛」の思想の下に軍隊を保有しています。
平たく言えば、“自ら他の国に攻める(侵略する)ことはしないが、万一、相手が攻めてきた(侵略してきた)場合の自己防衛策として軍隊を持つ”というわけです。
それが「専守防衛」の意味です。
すべての国が「専守防衛」するなら、侵略国家などあるわけがなく、従って、自己防衛の軍隊も必要ない筈です。
こんな馬鹿げた自己矛盾に気がつかないのが人類なのです。
否、本音と建前を使い分けているといった方が当たっているでしょう。
つまり、“相手(他者)は、約束(憲法)など破って、いつ攻めて(侵略して)くるかわからない”と、お互い相手(他者)を決して信用していないから、こんな自己矛盾が生じているのです。
まさに、ミイラ取りがミイラになっている政治です。
宗教もミイラ取りがミイラになっている。
政治もミイラ取りがミイラになっている。
政治と宗教が同じ穴の狢である証明です。
“他人(ひと)を決して信用しない”ことが、現代先進社会の常識になっているのです。
その理由(わけ)は、自分と他人が同じ世界にいると錯覚(感情移入・自己同化)しているからです。
鑑賞席にいる自分(独りの世界にいる自分)が、自分が出演してもいない映画を観て一喜一憂している(感情移入・自己同化している)のと同じです。
自分が存在している世界は自分独りだけの世界であり、親子・夫婦・兄弟・親類縁者であっても、他人(ひと)は所詮、映像に過ぎないことを自覚していないから起こる錯覚なのです。
自分独りだけの世界で他人(ひと)は映像だと自覚できるから、却って、他人(ひと)を信用することが出来るのです。
新田哲学では、生きているこの世と、死後のあの世などと区別(差別)していません。
映像の世界と実在の世界であり、しかも映像の世界と実在の世界という二つの現象は、補完関係、つまり、コインの裏表の関係にある、つまり、すべてはこの世の話であり、あの世などといったものは、そもそも存在(実在)しないと主張しています。
平たく言えば、生の世界も死の世界も同じ一枚のコインであって、生きている世界も死んだ世界も同じで、現象が違うだけだと言っているのです。
第九話『永遠の肉体(物質)』でお話しましたように、
わたしたちの肉体を構成しているものは物質であり、その70%は水、つまり、H2Oであって、死ぬと斎場で死体は焼かれ、お骨だけが残り、肉体の70%を構成していた水、つまり、H2Oは蒸発して水蒸気となって、辺り一面の空気に混ざり、時には風になって、時には雲になって、時には雨になって、再び水になったり、雪になったりします。
残ったお骨の大半は、斎場の従業員によって何処かに捨てられ、つまり、母なる大地・地球に戻り、ほんの一部のお骨だけが、最終的には墓の中に埋葬されます。
そのほんの一部のお骨に対して、わたしたちは後生大事に手を合わせているのです。
しかし、亡くなった人間の肉体はすべて、実は大地に戻り、風になり、雲になり、やがて、再び、雨(水)になったり、雪(氷)になったりしながら、母なる大地・地球に戻るのですが、2個の水素と1個の酸素で構成されているH2Oという分子化合物の水分や、お骨や灰である鉄や珪素という元素としては何ら変化していません。
H2Oという分子化合物が、摂氏100を超えると水蒸気(気体)になり、摂氏100度と0度の間では水(液体)になり、摂氏0度以下では氷(固体)になるけれど、H2Oという構造は何も変化しないことを、物理学では相転移現象と言います。
つまり、生の世界も死の世界も一つの(相転移)現象、つまり、映像に過ぎないのであって、生前の世界(この世)と死後の世界(あの世)などあるわけがないのです。
肉体(物質)が実在で、五感(『自分は・・・』と想う「心」や「魂」や「霊」や「精神」)で感じたものは映像に過ぎないのです。
この世とあの世があるのではなく、わたしたち人間だけが実在と映像の二つの世界に生きているのです。