第五十三話 映像の世界(外界)

新田哲学では、自分以外のもの、つまり、外界はすべて映像であると主張しています。
わたしたち人間が使っている言葉は相対的(二元的)な構造になっていることは、第五十二話でお話しました。
他の生き物も言葉に似たものを持っています。
鳥の鳴き声。
動物の吠声。
つまり、音(色)が言葉の代わりになっているわけです。
では魚は鳴くでしょうか。
鳴かない。
いや多分、聞えないような音(色)で鳴いているのでしょう。
鯨は超音波の鳴き声を発すると言われています。
色(光)にも、見える色(光)と見えない色(光)があるように、音(色)にも、聞える音(色)と聞えない音(色)があるのです。
スカンクや鼬は臭い屁をしますが、あれは自己防衛のために“あっちへ行け!”と言っているわけです。
ということは、匂(色)が言葉の代わりになっているわけです。
毒蛇は猛毒の唾液を吐いて、自己防衛のために“あっちへ行け!”と言っているわけです。
ということは、味(色)が言葉の代わりになっているわけです。
ヤマアラシは体中の剛毛を針のように尖らせて、“あっちへ行け!”と言っているわけです。
いうことは、皮膚(色)が言葉の代わりになっているわけです。
わたしたち人間だけが、言葉とは音による、つまり、聴覚によって伝達されるものと思っていますが、そうではなくて、言葉とは五感によって伝達されるものであることが、他の生き物によってわかります。
言葉とは、自分以外の者へ“あっちへ行け!”という自己防衛の意思の伝達機能であり、その伝達が五感によって為されていることは、まさしく、五感とは自他の区分け器官であることが明白です。
人類が自己防衛のために二本足動物に変貌したのも、消極的意味での“あっちへ行け!”という自己防衛の意思の伝達であったわけです。
自他の間の境界線(国境)が五感に他ならない。
しかも、五感、つまり、目、耳、鼻、舌、皮膚で以って感じているものは、すべて映像であって、実在ではないのです。
目で見ている景色はすべて過去のものです。
耳で聞いている音色はすべて過去のものです。
鼻で匂っている匂色はすべて過去のものです。
舌で味わっている味色はすべて過去のものです。
皮膚で感じている触色はすべて過去のものです。
自分と自分以外のすべてのもの、つまり、外界の境界線が外皮という五感だから、五感で感じたものはすべて映像、つまり、外界は過去という映像に外ならない証明です。