第四十四話 今こそ個人の目覚めが望まれる

新しい世界は新しい種の人間によって創出されていきます。
従って、新しい種の人間が出現しないと新しい世界は出現しません。
言い換えれば、歴史というものは、新しい種の人間によってつくられていくのであって、古い種の人間は何の役にも立っていません。
古い種の人間よりも数は圧倒的に少ない新しい種の人間が歴史をつくっていく、つまり、新しい世界をつくっていくのです。
中国にこんな故事があります。
「一匹の羊のリーダーの下に百匹の狼がいるグループと、一匹の狼のリーダーの下に百匹の羊がいるグループが戦うと、必ず、一匹の狼のリーダーの下に百匹の羊がいるグループが勝利する」
難しい表現をすると、数的にマイナー・質的にメジャー、言い換えれば、量的劣位性=質的優位性が、新しい世界、つまり、歴史をつくっていくのであって、数的にメジャー・質的にマイナー、言い換えれば、量的優位性=質的劣位性はまさに無用の長物であるのです。
平たく言えば、一般大衆は何の役にも立たない無用の長物であるということになります。
逆に言えば、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」が人間社会だけに発生した理由は、一般大衆は何の役にも立たない無用の長物であり、一部の数少ない優秀な人間だけが有用である点からとも言えます。
エリート主義、啓蒙主義、延いては、社会主義、共産主義といったイデオロギーが、近代社会が生まれていく中で誕生した理由も、突き詰めてみれば、一般大衆が余りにも愚鈍であったからだとも言えます。
明治維新を演じた人たちは数少ない優秀な若き青年たちであり、その頃の大半の老若男女は、“ええじゃないか、ええじゃないか、自分さえ楽しければええじゃないか!”と、江戸や京都の街中を阿呆踊りしていたのです。
啓蒙主義的発想が、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」を生んだとも言えるわけであり、その原因は、差別・不条理を受けても仕方ないほどの一般大衆の愚鈍さにあったとも言える自己矛盾が内在しているわけです。
難しい表現をしますと、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」が差別・不条理・戦争と補完関係、且つ、二律背反関係にもあるとも言えます。
わかり易く言えば、
「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」が差別・不条理・戦争の原因でもあり、差別・不条理・戦争を失くする一つの方策でもあるわけですが、リーダーに世襲・相続に拠らない賢哲者(一匹の狼)のいることが必須条件になります。
しかし、人間の一生は高々短いもので、何代にも渡って賢哲者が輩出することは極めて困難なことであり、いずれにしても、世襲・相続の差別制度は障害の何者でもない。
一番の理想は、わたしたち人間ひとり一人が目覚めることです。
二十一世紀が個人の時代であり、グローバルな(地球規模の)歴史を左右するのも個人の目覚めにすべてが掛かっていると言っても過言ではありません。
そのとき、わたしたち知性ある生き物の更なる進化の可能性が生まれてくるのです。