第三十八話 文明の功罪

極めて弱き生き物であった人類が地上を制覇したのは、知性という武器を手に入れたからです。
知性とは考える力と言い換えてもいいでしょう。
まさに、「人間は考える葦」であるわけです。
考える葦である人間は、先ず、言葉をつくった。
言葉が誕生することによって、文明が誕生した。
最も弱い生き物・人類→自己防衛→二本足→大脳新皮質の誕生→知性→考える力→言葉→文明→最も強い生き物・人間
本来最も弱い生き物であったものが、最も強い生き物になった。
それを可能にしたのが知性、つまり、考える力であったわけです。
知性の功的側面です。
すべてが動いていることで成り立っている、わたしたちの(運動)宇宙は「二元論」というメカニズムが機能しているとお話しました。
平たく言えば、一つのものが二つあるように見えるわけです。
在るのは一つなのですが、それが、二つの現象を見せる。
それが動いている証明なのです。
静止画フィルムが在って、動画面という映像が映る。
一枚のコインが表と裏という二つの面を見せ、表の面と裏の面はまるで正反対の様相なのに、その両面を分けることは絶対にできない。
これが「二元論」の本質です。
好きと嫌いは、一枚のコインの表面と裏面に過ぎないのです。
ところが、わたしたち人間は、好きを好み、嫌いを嫌う。
だけど、好きを引き寄せれば嫌いも一緒に付いてくる、嫌いを避ければ好きも一緒に離れていく。
愛することと憎むことは、一枚のコインの表面と裏面に過ぎないのです。
ところが、わたしたち人間は、愛することを好み、憎むことを嫌う。
だけど、愛することを引き寄せれば憎むことも一緒に付いてくる、憎むことを避ければ愛することも一緒に離れていく。
男女の間は愛憎関係と、わたしたちは解っている筈なのに、解っちゃいるけどやめられないのが、知性あるわたしたち人間でもあります。
つまり、知性にも「二元論」が厳然と働いていて、先にお話したように、最も弱い生き物・人類を最も強い生き物・人間にしたことは、知性の持つ功的側面であることは確かですが、その反面、知性の持つ罪的側面が錯覚であり、錯覚が悩みや四苦八苦を生み、詰まる処、死に対する恐怖を植え付けてしまったのです。
知性のお陰で、わたしたち人間だけがいつか死ぬことを知ったわけであり、いつか死ぬことを知ったお陰で、わたしたち人間だけが未だ来ぬ未来に想いを馳せ、取り越し苦労をする羽目に陥ったわけです。
最も弱い生き物・人類→自己防衛→二本足→大脳新皮質の誕生→知性→考える力→言葉→文明→最も強い生き物・人間
最も弱い生き物が最も強い生き物になった。
まさに、「弱いことは強いこと」という「二元論」であります。
強いと弱いは、同じ一枚のコインの表面と裏面に過ぎないのです。
自己防衛と他者攻撃は、同じ一枚のコインの表面と裏面に過ぎないのです。
二本足生き方にも功罪両面がある。
大脳新皮質の誕生にも功罪両面がある。
知性にも功罪両面がある。
言葉にも功罪両面がある。
文明にも功罪両面がある。
わたしたち人間が今まで文明の功的側面ばかりを重視して、罪的側面を無視してきたお釣りが、いまどっと押し寄せて来ているのです。