第三十七話 言葉の罠

「死」という言葉を悪いイメージにしてしまった人間は、「死」の不在概念である「生」という言葉を反義語として、好いイメージにしてしまった結果、手に入れることができる、つまり、実在する「死」を避けるようになり、手に入れることができない、つまり、不在概念である「生」を求めるという、「求不得苦」の人生を送る羽目に陥ってしまったのです。
わたしたちは、「死」、「病気」、「貧乏」、「愚か」、「地獄」、「悪魔」といった言葉を悪いイメージで捉えています。
他の生き物たちには、「死」、「病気」、「貧乏」、「愚か」、「地獄」、「悪魔」といった言葉などありません。
「死というようなもの」、「病気というようなもの」、「貧乏というようなもの」、「愚かというようなもの」、「地獄というようなもの」、「悪魔というようなもの」はありますが、それを悪いイメージだとは決めつけていません。
シマウマにとって、ライオンは「悪魔のようなもの」であり、ライオンに食われることは「死というようなもの」でもある筈ですが、それを絶対に悪いイメージだと捉えていません。
空腹を満喫したライオンのそばをシマウマが平気で歩いていることが証明しています。
「悪魔のようなもの」であり、「死というようなもの」を与えるライオンですが、悪いイメージなのは空腹時のライオンだけであって、満腹時のライオンは「悪魔のようなもの」であっても、「死というようなもの」を与えるライオンであっても、悪いイメージではないのです。
だから、ライオンのそばをシマウマが平気で歩いているのです。
ライオン=「悪魔のようなもの」、ライオン=「死というようなものを与えるもの」自体は、悪いイメージでも、悪くないイメージでもないのです。
悪いイメージなのは空腹時のライオンであって、満腹時のライオンは悪いイメージではないのです。
言葉の罠がここにあります。
言葉が錯覚の元凶であるわけです。
言葉の罠に嵌ったわたしたち人間は、悪いイメージの言葉である「死」の不在概念、つまり、反義語として、好いイメージの「生」という言葉をつくり、「生きることは好くて、死ぬことは悪い」という、求めても絶対得られない考え方を持ってしまったわけです。
そして、次から次へと、先ず実在する「病気」、「貧乏」、「愚か」、「地獄」、「悪魔」といった言葉を悪いイメージとしてつくり上げ、その不在概念、つまり、反義語として「健康」、「金持ち」、「賢い」、「天国」、「神」といった言葉を好いイメージとしてつくり上げてしまったのです。
避けようとしても絶対避けられない「死」、「病気」、「貧乏」、「愚か」、「地獄」、「悪魔」を日夜避け続け、求めても絶対得られない「生」、「健康」、「金持ち」、「賢い」、「天国」、「神」を日夜求めて、わたしたち人間は悩み、四苦八苦しているのです。