第三十六話 求めるものは絶対得られない

宗教者が支配者に加担して捏造した輪廻転生説と神の概念が、何千年の時を経過して、わたしたち人間ひとり一人に脅迫観念として深く摺り込まれ、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」にいまや人間全体が何の疑問も持たずに生きているから、神社仏閣に手を合わせ厄払いを願い、人生の中でせっぱ詰まった事態に陥ると無意識のうちに“神さま、助けてください!”と胸の内で呟いてしまうまでに仕上げられてしまった。
その結果、わたしたち人間だけに、悩みや四苦八苦が重くのしかかった人生になってしまい、生きるのも苦、老いるのも苦、病気になるのも苦、死ぬのも苦、たとえ愛する人と出会っても必ず別れなければならない苦、怨み憎しむ人と出くわさなければならない苦、求めるものは絶対得られない苦、そして、寝ても覚めても煩悩の欲に振り回される苦の連続です。
なぜ、求めるものは絶対得られないのでしょうか。
“生きることが好くて、死ぬことが悪い”
“善いことが好くて、悪いことが悪い“
“強いことが好くて、弱いことが悪い”
“賢いことが好くて、愚かなことが悪い”
“金持ちが好くて、貧乏が悪い”
“幸福が好くて、不幸が悪い”
“天国が好くて、地獄が悪い”
“健康が好くて、病気が悪い”
“神が好くて、悪魔が悪い”
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そして、
“支配者が好くて、支配される者が悪い”
といったことを当たり前のように思っているからです。
これこそ、四苦八苦の一つ、「求不得苦」、つまり、求めるものは絶対得られない苦の正体なのです。
なぜなら、わたしたちが求めて止まない“生きること”、“善いこと”、“強いこと”、“賢いこと”、“金持ち”、“幸福”、“天国”、“健康”、“神”といったものは、砂漠の地平線の蜃気楼のようなもので、絶対に手にすることはできないわけで、逆に、わたしたちが避けて止まない“死ぬこと”、“悪いこと”、“弱いこと”、“愚かなこと”、“貧乏”、“不幸”、“地獄”、“病気”、“悪魔”だけを手にすることができるからです。
すべての人間が支配者になどなれる訳がない。
圧倒的多数の支配される者の上に、極めて数の少ない支配する者が成り立っているのです。
すべての人間が金持ちになどなれる訳がない。
圧倒的多数の貧乏の上に、極めて数の少ない金持ちが成り立っているのです。
ちょっと難しい表現をしますが、
支配者とは、被支配者の不在概念に過ぎないのです。
金持ちとは、貧乏の不在概念に過ぎないのです。
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生きることとは、死ぬことの不在概念に過ぎないのです。
善いこととは、悪いことの不在概念に過ぎないのです。
強いこととは、弱いことの不在概念に過ぎないのです。
賢いこととは、愚かなことの不在概念に過ぎないのです。
幸福とは、不幸の不在概念に過ぎないのです。
天国とは、地獄の不在概念に過ぎないのです。
健康とは、病気の不在概念に過ぎないのです。
神とは、悪魔の不在概念に過ぎないのです。
この求めても絶対得られないものを求めて止まないわたしたち人間ゆえに、悩みや四苦八苦がもたらされているのであって、それは、わたしたち人間だけがオス社会を構成しているからです。
なぜなら、
オスとは、メスの不在概念に過ぎないのですから・・・。
メスが子供を産むのであって、オスはメスのお腹から出て来るしかないのが、その証明です。
それを、23億いるキリスト教信者、12億いるイスラム教信者、〆て35億という人類の半数を超える人間が、イブ(メス)はアダム(オス)のあばら骨から生まれたと信じているのですから、差別・不条理・戦争が絶えないのは当たり前です。
政治的解決など模索するより、このシンプルな真理を気づき合う会議をする方がどれだけ有効であるかを、わたしたちひとり一人がもういい加減気づかなければなりません。