第三十五話 常軌を逸している日本社会

インドの不可触民アチュードや、日本の穢多と呼ばれる人々は、触るのも汚らわしい卑しい民族でも、穢れの多い人種でも決してなく、支配民族(侵略民族)よりも前から住んでいた先住民だったという理由だけで、いわれの無い不当な差別を子子孫孫まで受けてきたわけです。
「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」をつくった、わたしたち人間社会だけにある差別・不条理です。
わたくしは大阪に住んでいますので、箕面の山に棲息する日本猿の社会をよく観察しに行きます。
他のオス猿との戦いに負けた全身傷だらけのオス猿がいるのですが、戦いに決着がつけば、勝利を収めたオス猿も、他の猿たちも、彼を差別することなく同じ仲間として扱い、彼らの習慣であるお互いのノミ・シラミ取りをやっています。
彼らの社会は、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」がないからです。
徳川家康は「士農工商」の階級制度をつくった時、「士農工商」の更に下に非人と穢多をつくりました。
穢多は先にお話したように、先住民を閉じ込めるために、いくら輪廻転生してもその立場から未来永劫抜け出られないようにするためにつくった。
非人は先住民ではなくて、同じ侵略民族であるが、支配者たちの掟(法律)を破った罪人のことで、彼らは己の罪を反省して支配者の言うことを聞けば、今度生まれ変わった暁には非人の立場から抜け出ることはできるようにした。
「輪廻転生説」は、「支配・被支配二層構造」と「世襲・相続の差別制度」を確立するためには必要不可欠な考え方であり、それを宗教者たちにつくらせたわけです。
宗教というものが、一部少数の支配者たちのためのもので、わたしたち一般凡夫にとって、救済どころか束縛以外の何者でもない証明であります。
ところが現在の日本には、宗教法人が20万以上あり、その総信者数が2億を超えている有様は、常軌を逸しているとしか言いようがありません。