第三十一話 宗教者の正体

宗教は何故そんな罠を人間に仕掛けなければならなかったのでしょうか。
罠に嵌ったわたしたち一般凡夫の人間は、以来、悩みと四苦八苦の人生を送る羽目に陥ったのです。
何故同じ人間が同じ仲間の人間にそのような苦しみを与えるようなことをするのでしょうか。
人間社会だけに、支配する者と、支配される者という二つの区分け(差別)が生まれたからです。
更に、支配する者と、支配される者という二つの区分け社会(差別社会)を未来永劫堅持するために、世襲と相続の慣習をつくりあげたからです。
「支配・被支配二層構造の社会」と「世襲・相続の差別制度」と新田哲学では言い、新田哲学の思想的核心になっています。
これも「間違った錯覚の二元論」というボタンの掛け間違いをした結果生まれたものです。
「二元論」の本質には、ある鉄則が厳然と働きます。
ちょっと難しい表現ですが、
質的優位性=量的劣位性
質的劣位性=量的優位性
というものです。
平たく言えば、
質の良いものは量(数)が少なく、質の悪いものは量(数)が多い。
量(数)の多いものは質が悪く、量(数)の少ないものは質が良い。
たとえば、
強い者は少なく、弱い者が多い。
賢い者は少なく、愚かな者が多い。
金持ちは少なく、貧乏が多い。
そうしますと、支配する者というのは質的優位性、つまり、強い、賢い、金持ちを誇る側ですから、量的劣位性、つまり、数は少ない。
一方、支配される者というのは質的劣位性、つまり、弱い、愚か、貧乏を誇る側ですから、量的優位性、つまり、数は多い。
これでは、支配者たちは、いつ数の多い支配される者たちに寝首を掻かれるかもしれず、不安で仕方ない。
そこで、支配者たちに加担した宗教者たちが登場して、ボタンの掛け間違いを仕掛けたわけです。
「無いものねだり」の「完全(証明)不可能」、「100%(証明)不可能」な話を捏造して、わたしたち一般凡夫、つまり、支配される者に錯覚を植え付けたのです。
そして、「完全(証明)不可能」、「100%(証明)不可能」なことを可能にする超人間的存在の「神」を、彼らの後ろ楯にしたのです。
以来、そんな不条理な神を、わたしたち一般凡夫は、神と崇めさせられているのです。