第三十話 宗教の罠

実在するものを否定的な言葉にし、実在するものの不在概念を肯定的な言葉にした張本人が宗教なのです。
最初のボタンの掛け間違いがここで起こった。
実在する全体、絶対、静止、本質、一元であるものを否定的な言葉にした。
「死」、「悪」、「弱」、「愚」、「貧」、「不幸」、「地獄」、「病気」、「悪魔」・・・といったものがそうです。
実在する全体に対する部分、絶対に対する相対、静止に対する運動、本質に対する現象(映像)、一元に対する二元であるものを肯定的な言葉にした。
「生」、「善」、「強」、「賢」、「金持ち」、「幸福」、「天国」、「健康」、「神」といったものがそうです。
実在する全体、絶対、静止、本質、一元であるものを肯定的な言葉にし、実在する全体に対する部分、絶対に対する相対、静止に対する運動、本質に対する現象(映像)、一元に対する二元であるものを否定的な言葉にすれば、ボタンの掛け間違いは起こらなかったのです。
宗教の存在根拠は、「完全不可能」、つまり、「100%不可能」なことの主張にあることだと、先にお話しました。
宗教は常に100%絶対だと言わなければ成立しないからで、“100%信じなさい!”と言わずに、“99%信じなさい!”と言えば、誰も信者になってくれないからです。
ここが宗教の罠に外なりません。
「完全可能」、「100%可能」な話なら宗教は要りません。
つまり、実在する全体、絶対、静止、本質、一元であるものを肯定的な言葉にし、実在する全体に対する部分、絶対に対する相対、静止に対する運動、本質に対する現象(映像)、一元に対する二元であるものを否定的な言葉にすれば、「在るものねだり」の「完全可能」、「100%可能」な話になって、宗教は要らない。
ところが、実在する全体、絶対、静止、本質、一元であるものを否定的な言葉にし、実在する全体に対する部分、絶対に対する相対、静止に対する運動、本質に対する現象(映像)、一元に対する二元であるものを肯定的な言葉にすれば、「無いものねだり」の「完全不可能」、「100%不可能」な話になって、ボタンの掛け間違いが起こり、宗教が必要不可欠なものになる。
実に狡猾なやり口なので、わたしたち一般の人間は、この罠に気づかないでいたのです。
その代表例が、光が実在で暗闇は光の不在概念という、本末転倒の論理になってしまったのです。
宗教が光一元を主張する根拠がここにあります。