第二十八話 眠り続ける生き物・人間

わたしたちが生きるということは、生き続けている(運動し続けている)と思っていますが、実は、死んでは生き・死んでは生き・死んでは生き・・・を繰り返している。
言い換えれば、死んでは生き・死んでは生き・死んでは生き・・・を繰り返すということは、『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・・・の繰り返しをしていることに外なりません。
新田哲学の言う「在り方と考え方」の骨子がここにあります。
わたしたち人間は、『過去・(現在)・未来』に想いを馳せて生きているだけではなく、ちゃんと『今、ここ』をも生きているのです。
『今、ここ』をもちゃんと生きているから、実在するわけです。
『過去・(現在)・未来』に想いを馳せているだけでは実在できないのです。
『今、ここ』をずっと生きていることが悟りであり、わたしたち人間以外の生き物、つまり、動物、植物、鉱物、それらをすべて含んだ地球、太陽、そして宇宙全体はすべて悟っているのに、わたしたち人間だけが『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・『今、ここ』・『過去・(現在)・未来』・・・の繰り返しをしているために悟りの境地を得られないだけです。
絶対の世界、全体の世界、一元の世界に生きることが悟りであります。
相対の世界、部分の世界、二元の世界に生きることが迷いであります。
現に、わたしたち人間も熟睡している間は、絶対の世界、全体の世界、一元の世界、つまり、『今、ここ』を生きている、つまり、悟っているのですが、熟睡の眠り(Non−REM睡眠)から、夢を見る(厳密には、見る、聞く、匂う、味わう、触れる)睡眠(REM睡眠)に移行することで、相対の世界、部分の世界、二元の世界、つまり、『過去・(現在)・未来』に想いを馳せる生き方になり、迷いの世界に入り込んでいるのです。
夢から覚めて現実に帰っても、『今、ここ』にいなければ、ずっと夢を見続けているのです。
寝ても覚めても眠り続けている生き物・人間であります。