第二十五話 肉体が主人か、魂が主人か

肉体は、主体である五臓(心臓・肝臓・脾臓・肺臓・腎臓)六腑(大腸・小腸・胆嚢・胃・三焦・膀胱)と、従体である五感とで構成されています。
主体である五臓(心臓・肝臓・脾臓・肺臓・腎臓)六腑(大腸・小腸・胆嚢・胃・三焦・膀胱)は生まれてから死ぬまで四六時中働き続けていますが、従体である五感は熟睡している間は働いていません。
つまり、主体とは生まれてから死ぬまで四六時中動いているものであり、従体とは生まれてから死ぬまで動いたり止まったりを繰り返すものであると言えます。
言い換えれば、主体とは絶対運動をしているものであり、従体とは相対運動をしているものなのです。
ちょっと難しいですが、「絶対運動」とは「絶対静止」のことであり、「相対運動」とは静止と運動の繰り返しを言うわけで、わたしたちが一般に運動と言っているものは、静止と運動を繰り返す「相対運動」のことなのです。
ここにも、わたしたち人間の錯覚があります。
従って、主体とは絶対静止の実在であり、従体とは相対運動の映像であることが証明されます。
映画である動画像(アニメーション)は実体のない映像であり、それは、映写機に取り付けた映画フィルムに光を当てて回して、白いスクリーンに映し出されたただの映像であるのに対して、その基になる映画フィルムは一枚一枚のスナップ写真、つまり、静止画フィルムが在る(実在する)だけです。
静止画フィルムが実在、つまり、主体であり、動画像(アニメーション)は映像、つまり、従体であるわけです。
静止(絶対静止=絶対運動)しているものが実在、つまり、主体であり、運動(相対運動)しているものは映像、つまり、従体であるわけです。
では、主体とは何でしょうか。
では、従体とは何でしょうか。
肉体全体を主体と言い、肉体の一部を従体と言うわけです。
五感を含めた五臓(心臓・肝臓・脾臓・肺臓・腎臓)六腑(大腸・小腸・胆嚢・胃・三焦・膀胱)が肉体全体、つまり、主体であり、五感が肉体の一部、つまり、従体です。
これはちょうど太陽という恒星と地球という惑星の関係と同じです。
太陽が主体で、地球が従体です。
同じように、地球が主体で、わたしたち人間が従体です。
同じように、わたしたち人間の肉体全体が主体であり、五感が従体です。
肉体が主体であり、「想い」が従体です。
決して、「心」や「霊」や「魂」や「精神」が主体で、肉体が従体ではないのです。
それは、宇宙全体が証明しています。
新田哲学の言う「全体と部分の相対性の法則」とはこのことであります。