第二十三話 水平(アナログ)世界と垂直(デジタル)世界

『過去・(現在)・未来』を水平的時間と呼ぶのは、過去から現在を経て未来へ流れる、いわゆる、アナログ的であるからで、わたしたち人間だけが持っている「時間の概念」の時間のことで、物理学の世界では実時間と呼ぶ一方で、虚時間という概念をつくり出しました。
「実」に対して「虚」というわけですが、これは実数の「実」と虚数の「虚」から引用されたものです。
実際にある数字に対して、実際には無い数字を虚数と言うわけです。
実像に対して虚像と言い換えてもいいでしょう。
ちょっと難しいでしょうが、では何故物理学では実際に無い虚数などと言ったものが必要なのでしょうか。
平たく言えば、実際あるもの、つまり、実在と、実際無いもの、つまり、映像とは直角関係、つまり、垂直の関係にあると定義すると、この世の中、延いては、宇宙全体の出来事が実にうまく理解できるからです。
たとえば、宇宙は立体(三次元)でできているのに、平面(二次元)運動しかできないようになっています。
新田哲学では円回帰運動と言っています。
宇宙の形状はみんな円盤状になっているし、UFOも空飛ぶ円盤状になっているのは、平面運動(円回帰運動)しているからです。
太陽の周りを回る惑星もみんな同一平面上を回っているから、高速カメラで太陽系惑星群の運動を撮影すれば円盤状に映ります。
立体(三次元)でありながら運動は平面(二次元)を維持するためには、二つの力が垂直関係にないとできないわけです。
かなり難しい話ですが、たとえば、コマがぐるぐる回る、つまり、円盤状に回るには、コマの軸と回ることによって生じる遠心力とが垂直関係にあることが絶対条件になります。
もしも、コマの軸が歪んでいたら、コマは正確な円運動ができなくなります。
太陽系惑星群もまさにコマの運動のようになっているわけで、そのためには、太陽系の軸と回転運動の遠心力方向は垂直関係でなければならないわけです。
実際にある軸と、目に見えない遠心力とは垂直関係にある。
「実」と「虚」は垂直関係にある。
実在と映像は垂直関係にある。
新田哲学で言う、「実在」に対して「映像」に当たるわけですが、新田哲学では、実時間が映像の世界の時間であり、虚時間が実在の世界の時間となり、物理学とはちょうど正反対になります。
『過去・(現在)・未来』を実時間にする物理学とは運動を対象にした相対力学であるのに対して、新田哲学では、拙著「(静止)宇宙論」で書きましたように、静止状態が実在であり、運動は映像であるとする絶対力学を主張しています。
何故なら137億年前にビッグバンによって、わたしたちの宇宙が誕生して、その直後に唯一の力が四つの力に分かれて、運動する宇宙が生まれた、と物理学は主張しているわけですが、そうしますと、唯一の力があったビッグバンの前の宇宙は運動していなかった、つまり、静止宇宙であったことになります。
アインシュタインの相対性理論はビッグバン以後の(運動)宇宙を論じていて、それ以前の宇宙は神の世界だから解らないと言っているのです。
新田哲学では、運動宇宙の前に静止宇宙があったなら、静止宇宙と運動宇宙を貫いた絶対性理論でなければ、結局の処の真理は解らないと主張しています。
相対宇宙論に対して絶対宇宙論を主張しているわけです。
相対性理論に対して絶対性理論を主張しているわけです。
それは動画像(アニメーション)が映像であり、その実在は静止画フィルムにあることが証明しています。
静止画フィルム一枚一枚はスナップ写真です。
つまり、『今、ここ』を写した写真なのです。
『過去・(現在)・未来』を水平的時間と言い、映像の世界の時間であるのに対して、『今、ここ』を垂直的時間と言い、実在の世界の時間であると主張する根拠であります。
出来る限り平易にお話したつもりですが、これ以上やさしく説明する方法はありませんのでご了解ください。