第二十一話 二種類の時間

わたしたちが生きている(見ている、聞いている、匂っている、味わっている、触れている、つまり、五感で以って感じている)世界が動いている(運動している)世界、つまり、運動宇宙だから、すべてのものが相反する(実際には相反しているのではなくて、補完し合っている)二つの現象に表われるとお話しました。
これは、動くから悩みや苦労が生まれると言い換えることができるし、生きているから悩みや苦労が生まれるとも言い換えることができます。
ちょっと難しいかも知れませんが、動くということは、二つの点の間を移動するということであり、移動するには必ず時間が掛かります。
1光年先の星を今見ているわたし、つまり、一つの点と、その星、つまり、もう一つの点との間を光が移動するのに1年掛かっているのです。
太陽を今見ているわたし、つまり、一つの点と、太陽、つまり、もう一つの点との間を光が移動するのに8分掛かっているのです。
月を今見ているわたし、つまり、一つの点と、月、つまり、もう一つの点との間を光が移動するのに2秒掛かっているのです。
目の前にいる恋人を今見ているわたし、つまり、一つの点と、恋人、つまり、もう一つの点との間を光が移動するのにも時間が掛かっているのです。
運動する世界(宇宙)には「時間の概念」が付きものなのです。
アインシュタインが相対性理論で、わたしたちの世界(これを「空間」と言います)の上に「時間」が君臨すると言っている根拠がここにあります。
拙著「神はすぐ傍」で、「時間」をすぐ傍にある神と設定した根拠がここにあります。
映像の世界で生きているわたしたち人間は、『過去・(現在)・未来』に想いを馳せる理由がここにあります。
ところが、他の生き物たちは、『今、ここ』を生きています。
『過去・(現在)・未来』という時間と、『今、ここ』という時間は繋がっていないことは、先にお話しました。
つまり、『現在』や『今』や『現在この瞬間』や『今この瞬間』は繋がっているアナログ的であるのに対して、『今、ここ』はデジタル的だとお話しました。
繋がっているアナログ的な時間である『過去』や『未来』、そして、『現在』や『今』や『現在この瞬間』や『今この瞬間』を水平的時間と言うのに対して、繋がっていないデジタル的な時間である『今、ここ』を垂直的時間と、新田哲学では言っています。
運動の映像世界に生きているか、静止の実在世界に生きているかは、空間の問題ではなく、『過去・(現在)・未来』という水平時間上にいるか、『今、ここ』という垂直時間上にいるかに掛かっているのです。
同じ空間にいる人間と他の生き物たちでも、わたしたち人間は『過去・(現在)・未来』という水平時間上にいて、他の生き物たちは『今、ここ』という垂直時間上にいるのです。
同じ空間にいる人間でも、『今、ここ』という垂直時間上にいる自分と、『過去・(現在)・未来』という水平時間上にいる他人は、別の世界にいるのです。
新田哲学が主張する、自分以外の他のものはすべて映像であるという理由がここにあるのです。