第十九話 四苦八苦の発生原因

相反する(実際には相反しているのではなくて、補完し合っている)二つの現象を一枚のコインの裏・表のような関係で説明する二元論を、健康と病気という二つの現象で以ってお話しましたが、わたしたちが生きている世界のすべての出来事についても、同じことが言えます。
それは、わたしたちが生きている(見ている、聞いている、匂っている、味わっている、触れている、つまり、五感で以って感じている)世界が動いている(運動している)世界、つまり、運動宇宙だからです。
動くということは、ある点から別の点に移動することに外なりません。
一点だけに居れば、それは止まっている状態です。
二点があるから、動いている状態になるのです。
一点だけに居る、止まっている(静止)状態を哲学では、小むずかしく一元論と呼んでいるのです。
二点の間を移動(運動)している(運動)状態を哲学では、小むずかしく二元論と呼んでいるのです。
運動する世界では、すべてが二つの現象を五感で以って感じられるわけです。
映像(動画像)とは、一つの実在、つまり、静止画フィルムを二枚重ねてめくる、つまり、その間を移動(運動)することによって、動画像(アニメーション)が映し出されるのです。
一つの実在が二つの表と裏の現象として映し出された映像の世界に、健康と病気という現象が生まれるわけです。
そうしますと、わたしたちが生きている(動いている)中で感じるいろいろな出来事、つまり、四苦八苦もみんな同じメカニズムによって起こっていることがわかってきます。
四苦八苦の四苦とは、生老病死です。
生きる苦。
老いる苦。
病気の苦。
死ぬ苦。
八苦の残りの四苦とは、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦です。
愛別離苦とは愛するものと別れる苦。
怨憎会苦とは怨み憎しむものと出会う苦。
求不得苦とは求めるものが得られない苦。
五陰盛苦とは五感で感じた苦。
平たく言えば、
生きることと死ぬことの間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
善いことと悪いことの間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
強いことと弱いことの間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
賢いことと愚かなことの間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
金持ちと貧乏の間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
幸福と不幸との間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
天国と地獄との間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
健康と病気との間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
神と悪魔との間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
・・・・・・・・・との間を往ったり来たりすることで感じる苦痛。
よく考えてみれば、わたしたちがいろいろと悩んだり苦しんだりするのはすべて、この相反する二つの現象の間を往ったり来たりすることから生じていることがわかる筈です。
仏教では四苦八苦の原因は煩悩にあり、煩悩を断たない限り四苦八苦から逃れられないと主張し、仏教僧は禁欲生活をします。
煩悩、つまり、欲望には、性欲・食欲といった本能欲もあり、本能欲は動いている世界(運動宇宙)では運動エネルギーの原点であり、決して否定されるものではありません。
欲望のメカニズムが運動することから生じる、つまり、一つの実在が二つの現象として感じているに過ぎないことを理解できれば、四苦八苦の正体を理解できます。
生きることと死ぬことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、生きることに対する欲望が生まれる。
善いことと悪いことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、善いことに対する欲望が生まれる。
強いことと弱いことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、強いことに対する欲望が生まれる。
賢いことと愚かなことの間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、賢いことに対する欲望が生まれる。
金持ちと貧乏の間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、金持ちに対する欲望が生まれる。
幸福と不幸との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、幸福に対する欲望が生まれる。
天国と地獄との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、天国に対する欲望が生まれる。
健康と病気との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、健康に対する欲望が生まれる。
神と悪魔との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、神に対する欲望が生まれる。
・・・・・・・・・との間を往ったり来たりすることで苦痛を感じる結果、・・・の一方に対する欲望が生まれる。
生きている中で起こる四苦八苦の発生原因はすべてこの錯覚にあるのです。
煩悩を断つことで四苦八苦から逃れられるのではなく、この好いとこ取りしようとする錯覚に気づくことで四苦八苦から解放されるのです。