第十八話 悩み・苦労の発生原因

「死の概念」と「時間の概念」を持っていることが、知性の生き物・人間の根拠であるわけですが、その反面、悩みや苦労を持つ生き物でもあるわけです。
知性の功罪両面性(二面性)がここにあります。
ところが、科学や歴史といった学問としての知性は善として受け入れ、悩みや苦労といった罪的側面は拒絶してきたのも、知性の生き物・人間であったわけで、これは両面性(二面性)の本質から外れているのです。
両面性(二面性)を持つ二つの現象を、哲学の世界では二元論と言うことは先にお話しました。
健康と病気は、二元論の二つの現象、つまり、一枚のコインの表面が健康で、裏面が病気です。
これは何を意味しているか。
一枚のコインは表面と裏面の二面を持っているが、二つの面を分けることは出来ない、ということを言っているのです。
“表面の健康は欲しいが、裏面の病気は要らない”ということは不可能だと言っているのです。
これが功罪両面性(二面性)を持つものの本質であるとするのが二元論であるわけです。
表面と裏面はいつも一緒に付いて回るのです。
健康と病気はいつも一緒に付いて回るのです。
ところが、わたしたち人間は、健康だけ欲しがり、病気を避けています。
こんなことは絶対不可能です。
できることは、一枚のコイン自体を受け入れるか、拒否するかのどちらかです。
受け入れるということは、健康も病気も受け入れるということです。
拒否するということは、健康も病気も拒否するということです。
逆に言えば、健康が欲しければ病気も付いてくる、若しくは、病気を避けるなら健康も逃げて行くことになります。
これが、健康と病気の持つ功罪両面性(二面性)の本質、つまり、真理であるのです。
ところが、わたしたち人間は、健康という表面だけを欲しがり、裏面である病気を避けるという、土台不可能な身勝手な都合よい、好いとこ取りをしようと躍起になって生きているのです。
功罪両面性(二面性)の本質である二元論を曲げてしまっているのです。
新田哲学では、人間によって曲げられた二元論を「好いとこ取りの相対一元論」と言っています。
つまり、取るなら二つ両方、取らないのも二つ両方なのに、都合の好い方一つだけ取ろうとしているわけです。
都合の好い方一つだけ取ろうとして出来るならいいのですが、一枚のコインの表面と裏面を別々に剥がすことが出来ないように、本質から外れたことは、如何に万物の霊長といえども出来ません。
欲しいけれど、手に入らない。
知性を持つ生き物・人間だけに、「現実」と「想い」のギャップがこうして生まれたわけです。
知性を持つ生き物・人間だけに、「無いものねだり」がこうして生まれたわけです。
知性を持つ生き物・人間だけに、悩みや苦労がこうして生まれたわけです。