第十七話 知性の二面性

わたしたち人間だけが、「死の概念」と「時間の概念」を持っています。
他の生き物は、「死の概念」や「時間の概念」など持たずに生きています。
わたしたち人間だけが持っている知性とは、突き詰めてみれば、「死の概念」と「時間の概念」を持っていることに外なりません。
科学や歴史といったいろいろな学問の基となる知識の習得も、突き詰めてみれば、「死の概念」と「時間の概念」を持っているが故の知識習得に外ならないのです。
「死の概念」を持っているが故の知識習得とは、“自分もいつか必ず死ぬ”ということを知った時に、『自分は・・・』という自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が生まれ、その自分が知識習得の学問をはじめるわけで、それまでは、他の生き物とまったく同じ生き方をしているのです。
「時間の概念」を持っているが故の知識習得とは、「死の概念」の死が『今、ここ』の出来事ではなくて、未だ来ぬ未来の出来事であることから、『過去・(現在)・未来』に想いを馳せる癖が生まれたことで、『自分は・・・』という自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が生まれ、その自分が知識習得の学問をはじめるわけで、それまでは、他の生き物とまったく同じ生き方をしているのです。
そんな知性を持つわたしたち人間を、万物の霊長などとほめそやしているのは一体誰でしょうか。
それは単なるわたしたち人間の自画自賛に過ぎません。
母親から生まれた赤ん坊は、知性を持った万物の霊長などでは決してないのです。
「死の概念」と「時間の概念」を持った時に生まれた、『自分は・・・』という自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」が、知識習得の学問をはじめるわけです。
知性を普遍的な善なるものと思い込んでいるから、自分たちを万物の霊長などと自画自賛し、他の生き物を「獣」、「畜生」などと蔑み、挙句の果てに、母なる大地・地球にも傲慢な態度で接してきた結果、地球温暖化問題などをつくってしまったのです。
知性の正体とは、悩み、苦労する自他の区分けをする『自分は・・・』という自我意識、つまり、『エゴ』という「心」や「魂」や「霊」や「精神」に外ならず、知性を無条件で礼賛することは、悩みや苦労をも礼賛していることに外ならないのです。
ところが、わたしたち人間は、悩みや苦労から如何に脱するかに汲々として生き、挙句の果ての方策が宗教に頼るという自己矛盾に陥っているのです。
自分たち人間を万物の霊長などと自画自賛するなら、その見返りとして、悩みや苦労が付きものであることを肝に銘じて置かなければならないのです。
”知性や知識を持つことは素晴らしいことだが、悩みや苦労は嫌だ・・・”
これほどの自己矛盾はない。
知性にも功罪両面という両面性(二面性)があることを、二十一世紀の人間は肝に銘じて置かなければなりません。