第十五話 夢と現実

夢と現実についてお話してみましょう。
夢とは、眠っている間に見る、いわゆる、あの夢であり、目が覚めれば消える映像です。
現実とは、目が覚めて起きている間に見る、いわゆる、この現実であり、夢という映像とは違う、現に存在している実在です。
夢と現実の違いを説明したわけですが、果たしてそうでしょうか。
新田哲学では、目が覚めて起きている間に見る、いわゆる、この現実も、眠っている間に見る、いわゆる、あの夢と同じ映像に過ぎないと主張しています。
“自分以外のもの、つまり、他のものは、すべて映像である”
“現実も夢と同じである”
目が覚めることによって、夢から現実に変わり、眠ることによって現実から夢に変わると錯覚していたが、実は寝ても覚めても夢、つまり、映像に過ぎなかったわけです。
映像とは『過去』の出来事を再生した動画像(映像)です。
現実とは『今、ここ』そのものであって、出来事を再生した動画像(映像)ではありません。
新田哲学では、わたしたちの(運動)宇宙には、「二元論」、「全体と部分の相対性の法則」、「在り方と考え方」という三つの法則がありますが、詳しいことは先でお話するとして、『過去』の出来事というのは、「在り方と考え方」の中の「考え方」であるのに対し、『今、ここ』そのものというのは、「在り方と考え方」の中の「在り方」であって、その違いこそが、映像に対して現に存在する実在であるわけですから、目が覚めて起きている間に見る、いわゆる、この現実も、眠っている間に見る、いわゆる、あの夢と同じ映像に過ぎないことになります。
わたしたちが五感で見ているもの、聞いているもの、匂っているもの、味わっているもの、肌で感じているもの、つまり、自分以外の他の世界は、すべて映像であります。
何故なら、それはみんな過去の出来事を再生した動画像(映像)だからです。
過去の出来事が実在することはできず、動画像(映像)として再現されるしかない。
今見ている1光年先の星は、現在の星の姿ではなく、1年前の星の姿です。
今見ている太陽は、現在の太陽の姿ではなく、8分前の太陽の姿です。
今見ている月は、現在の月の姿ではなく、2秒前の月の姿です。
今見ている目の前にいる恋人は、現在の恋人の姿ではなく、過去の恋人の姿です。
つまり、
今見ている自分以外の他の世界は、実在する世界ではなく、過去の出来事を再生した動画像(映像)なのです。
実は今見ているなんていうものはないのです。
今見ているのは、『過去』や『未来』に想いを馳せている、つまり、考えているに過ぎないのです。
今在るだけしかないのです。
それが『今、ここ』の『ここ』であるのに、わたしたちは今見ている星や太陽や月や目の前にいる恋人を、自分と同じ実在するものと錯覚しているのです。
だから、眠っている間に見る、いわゆる、あの夢と、目が覚めて起きている間に見る、いわゆる、この現実とは違うと錯覚しているのです。
この錯覚が、わたしたち人間だけにある悩みや苦労の原因なのです。